テレワークが浸透したためか、夜のホームは山口駅のように人が少なかった。その昔、人気のないホームの上にあのうどん屋はあった。ホームに立つ人も疎らなのに夜も遅くまで開いていた。電車を30分、1時間と待つのは当たり前のことだった。
がらがらと扉を開ける。(いや扉などなかったか)
肉うどんを注文するとおばあさんが(おばあさんではないかもしれない)手際よくうどんを作ってくれる。
「はい、どうぞ」(無言だったかもしれない)
昇る湯気、出汁の香り。七味唐辛子を振り入れてうどんを啜る。抵抗なく喉を通る麺。器を抱えて出汁を飲む。熱い。そして旨い。(旨いと目の前の人に伝えたい)僕は黙って息を吐く。それからもう一口。次の電車がくるまで15分余り。うどんならゆっくり食べても十分に間に合う。この出汁はどこから出ているのか。肉からか? それもあろう。鰹と昆布からか。それとも作っている人が持つ特別な何かが……。どんな堺筋のうどんよりも、どんな千日前のうどんよりも、どんな南のうどんよりも、どんなバカでかい器のうどんよりも、確かにそれは旨かったのだ。電車がくることが惜しいくらいだ。一口飲む毎に感動が押し寄せる。もちろん出汁は最後の一滴まで。ごちそうさま。(少年は無言で丼を置いて店を出る)
あれは本当だったろうか。ホームだから、電車を気にしていたから、夜だったから、風が吹いたから、まだ舌が幼かったから、記憶が旨く盛られているのかもしれない。(もう確かめることはできない)
ある時、うどん屋は突然なくなってしまった。
僕がそうなる事情を何も知らなかったからだ。