ひと頃、コンビニの「お握り」といえば空腹しのぎの「取り敢えず食」で味などは二の次であった。しかし、今どきの「お握り」コーナーは高級感を持たせ壮観である。ブランド米に海苔はたっぷり、山海の珍味を使った具が味を引き立てている。
だが、どうも「違うんだよな~」。育ち盛りを戦後の食糧不足の中で過ごしてきた我々にとって「握り飯」は真っ白、銀シャリが輝いていなければならないのだ。具などは邪道、うっすら塩味で米粒の甘みを引き出た素朴な味が最高なのである。しかし、実を言えばそんな「銀シャリおにぎり」に有りつけるのは遠足とかの特別イベントの日であって普通は麦飯に味噌を付けたボロけたものであったのだが。米は金持ちの独占物であり、富の象徴でり、国家の源泉だったのだ。
戦前の小作人も江戸時代の百姓も米は作るもので食うものではなかった。大名の格付けは米の収穫量によって決められた。戦国武将の領地争いも元を糺せば田んぼの争奪戦である。そもそも古代国家の成立も米作りの結果、その余剰米の管理から始まったのだ。
日本は瑞穂(みずほ=みずみずしい稲の穂)の国なのである。古事記は大八洲豊葦原の瑞穂国と日本を称えた。その稲作の開始は縄文時代の終わり頃からというから3000年が経っている。耕作の仕方は基本的には変わることなく長い長い歴史を持っている。
山間の水を確保して段々と川下に向かって田が開かれていったのだ。村はその田畑に沿って広がっていった。大きな農機具は使うことが出来ずに人力によって農作業を進めるしかなかった。気の遠くなるほどの手間暇と工夫とをかけて「瑞穂の国」の瑞穂は収穫されるのである。米作りが日本を支え国土を守ってきたのである。
これが日本の農業である。一粒の単価はカリフォルニア米の倍である。アメリカの農産物が安いのは当たり前で、これを輸入すればどういう事になるのかも自明の理である。「瑞穂の国」の瑞穂は守られなければならない。それが政治力であるが、その政治力が瀕死の状況にある。TPP参加に情熱を傾けるのではなく、日本のコメの安全保障に取り組む事がこそが必要である。
<山間の湧水を利用した田んぼがひろがる。紫のは古代米である>
山間の湧き水求めて拓かれた瑞穂の国の稲作の形
人力に頼りて米の生産を三千年間絶ゆることなく
雨なくば水争いの血を流す「雨降り神社」の絵馬は大きく
フタとればフッと鼻突く外米のセピア色したニオイ忘れず
銀シャリの握り飯には海苔いらぬ薄き塩味甘みを引き出す