年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

冬遠からじ<3>阿弥陀堂

2010-12-09 | フォトエッセイ&短歌
 柿と冬鳥の手代木沼(てしろぎぬま)は宮城県角田市高倉字手代木沼にある。農業用ため池だったいうだけに付近には収穫の終えた田んぼが広がる。灰はカリウムを多く含み植物の生育に欠かせないため古くから肥料として利用されてきた。
 その為に収穫後の野面にはワラやモミを焼く煙が漂ったものだが、コンバインによる作業、手不足、ダイオキシンなどで煙が立ち上るような事はなくなった。灰の変わりに化学肥料を投入する。土地は涸れ細るばかりだ。

<長閑な田園地帯だが、猛暑で不良米となった農家は大きな打撃である>

 近くに819(弘仁10)年、徳一菩薩の創建と伝えられる高蔵寺がある。寺は星霜の激動で衰え、本堂は粗末な家屋で見るべきものはない。しかし、阿弥陀堂だけが災厄と修理を経て今日にいたっている。簡素な見事な阿弥陀堂が凛として時の移ろいを語っている。宮城県最古の木造建築物とされて国の重要文化財に指定されている。

<高蔵寺山門の銀杏が石畳に散って錦秋の深まりを静かに語っている>

 高蔵寺阿弥陀堂は1177(治承元)年、藤原秀衡・妻などによって建立されたものとされている。間口、奥行とも9.3mの正四方形(宝形造)で、太い円柱に支えられた構造は簡素で力強い。宇治平等院鳳凰堂等ととに日本最古の七阿弥陀堂のひとつに数えられる。
 柱が厚い茅葺き屋根と大きな棟を支え、組物は舟肘木(ふなひじき)だけである。内部の天井・虹梁の様子も、平安時代の作風をよくとどめ、堂内に安置されている本尊の木造阿弥陀如来座像も平安後期の作と推定。国の重要文化財に指定されている

<平安時代、貴族階級が浄土往生を願い阿弥陀堂建立にいそしんだ>


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