横浜市都筑区にある大塚遺跡は今から約2000年前の弥生時代のムラの跡である。当時の墓である方形周溝墓が近接するという貴重な遺跡でもある。
この大塚遺跡は外敵を防ぐためにムラの周囲に濠と土塁をめぐらせた約2万㎡に及ぶ壮大な環濠集落である。
1972(昭和47)年、港北ニュータウン建設に伴う事前事業の発掘調査で発見されたものである。竪穴式住居跡・高床式建物跡や大量の土器や石器をはじめ、炭化した米、石製の装身具などが大量に出土した。
保存運動が始まったが、ニュータウン建設の変更を拒んだ開発側と行政は遺跡の保護など眼中になかった。宅造・道路の建設、鉄道の敷設が強引に進められた。遺跡を破壊するな!市民の活発な保存運動も展開され、保存団体と都市計画側との激突が続いた。結局、市民の声と文化庁の要望を聞いて開発側は遺跡全体のわずか3分の1を残すことで決着をつけた。
見事な環濠集落は削り取られコンリートのつまらない建物と排ガスを撒き散らす道路と鉄道になった。開発優先の貧困極まる文化財政策である。全貌が保存されていればといまでも悔やみきれない。
甦る高床倉庫の柱は太し ネズミ返しがいと面白き
開発は弥生遺跡を蹴散らしたカネにもならんと電車を通す
ローム層の竪穴住居の土間暗く炉の石どもが黒々と浮かぶ
土深く黒曜石の石鏃は2000年を経て輝き新たに
防御する鋭き柵を巡らして戦術を語るムラオサの腕
滑らかな磨製石斧の存在感 鋭角の刃に古代が息吹く