年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

鎌倉Ⅰ<2>座れば牡丹

2010-01-23 | フォトエッセイ&短歌
 鶴岡八幡宮の本殿へ登る石段脇のご神木である大銀杏(おおいちょう)。新年の参拝客を迎えたしめ縄の紙垂の白が眩しくゆれる。樹齢1000年とか、幹回りが7メートルで県天然記念物に指定されている。「隠れ銀杏」の名もある。
 1219(建保7)年1月27日は二尺も積もる大雪の日である。頼家の後を継いだ三代将軍・実朝は右大臣拝賀の儀のために八幡宮に赴き神拝を終え退出するときに大銀杏に隠れていた公暁(くぎょう)に襲われ落命した。公暁は「親の敵はかく討つ」と二太刀で斬り殺したという。しかし、公暁もその日のうちに襲撃され、源氏将軍は三代で絶えた。

<武家政権の歴史を開いた源氏の棟梁も一族の確執は強く儚い最期を遂げた>

 「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合の花」。どうも意味が分からない。ことわざ辞典を開らくと「美人の姿をたとえる言葉」。注として「中国では芍薬を離別を惜しむ時に贈る花としている。また牡丹は富貴花、天香国色(てんこうこくしょく)、花神とも呼んで花の王としている」。ウ~ン、故あって去りゆく絶世の美人への惜別の思いか!
   
<鶴岡八幡宮の「ぼたん園」。霜除けのわら囲いの中で花の女王は婉然と笑む>

 鶴岡八幡宮三の鳥居前の道(横大路)を右に行った突き当りに宝戒寺(ほうかいじ)がある。鎌倉の寺は「花寺」で知られているが、宝戒寺も四季を通じて花を咲かせる。特に秋の白萩は見事で「萩寺」として親しまれている。
 鎌倉幕府の第2代執権である北条義時(ほうじょう よしとき)の小町屋敷の跡と伝えられている。彼は源頼朝の正室・北条政子の弟で頼朝の信任厚く寝所の警護などを行った。
頼朝の死後、頼家を暗殺し実朝(3代将軍)を立て幕政に参画した。以後は御家人や朝廷との政権争いに姉:政子と共に戦い執権北条政権を確立した。1224(元文元)年62歳で急死した。
 宝戒寺は「足利高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」とあるが、定かではない。

<静寂の宝戒寺参道には「唐仏地蔵尊」の碑、「北条執権邸旧蹟」の碑がある>