年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

初春<3>どんど焼き

2010-01-12 | フォトエッセイ&短歌
 鏡開き・蔵開きが終わると「どんど焼き」である。この火祭りが終わると正月のイベントがすべて終わる。指折り数えて待ちこがれた楽しかった正月ともお別れだ。とにかくお正月は楽しく面白かった。子供の頃の想い出である。
 新しい下着に一張羅の上着、足袋も靴もマッサラで贅沢な正月料理、かしこまって挨拶なんかして、早くこいこいお年玉!口には出さずジリジリと待っている高揚感のひととき。それから「たこ揚げ」「独楽回し」「羽根突き」と晴れ着も夕刻には泥だけどになるけど、それも怒られる事は無かった。戦後が終わる前の貧しい社会であった。 

<14日の夜か15日の朝の行事、今時それは無理で日曜日の午後に実施>

 多摩川河川敷のどんど焼き。司会者の開会挨拶がスピーカから流れる。古式に則り神主の寿ぎの祝詞が厳かに流れる。町内会長、消防団長、保存会会長などなどの挨拶が河川敷を吹き抜ける寒風のなかで続く。
 イントロが長くて寒さがひとしを増してくる。70人のどんど焼き保存会で運営してるとか、そしてヤッパリ国会の先生のお出ましだった。生活から断ち切られた文化財の継承は大変なのだ。

<夕陽がビルの影に隠れる頃、日枝神社宮司が玉串を捧げて式は万端整う>

 楽しかったお正月も「どんど焼き」で閉幕となる。子供の頃の記憶では「どんどん焼き」と言っていたように思う。村の鎮守の入り口や道路の辻などに青年団が長い竹を立てて準備に入る。門松・注連(しめ)飾り・書き初め・御札などを村人が持ち寄ってくる。子供らが荒神様(こうじんさま)に飾った木の枝に刺した「紅白の団子」を担いで集まってくる。暗くなるのを待って火をつける。一年間の無病息災を祈念する。
 何もかも遠い昔の出来事である。どんどん焼きも遠くになりにけり。

<紅蓮の炎が舞い上がる。災厄の悪霊ことごとく燃えつくす勢いで壮観である>