年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

里の秋(上)

2006-10-13 | フォトエッセイ&短歌
  収穫の終わった田畑はしばらく長閑に冬の到来を待つ。切り株には穏やかな残暑に照らされて蘖(孫生:ひこばえ)がスクスクと伸びている。緑の鋭い葉先が季節外れだが早場米の耕作で刈り取りが早いのだという。
  畦の枯れ草や用水路の小枝でも燃やしているのだろうか、薄い煙が漂って流れている。村里のあたりまえの初秋の風景も開発とダイオキシン問題で滅多にお目に掛かることが出来なくなった。

  

 見ることが無くなったと言えば田螺(タニシ)である。
稲刈りの済んだ田んぼは来年の田植えに向けて一休みして体力を整える事になるが、足跡の窪みや切り株の根元にはタニシがいた。棒でほじくり返すと3~4個のタニシが出てくる。落ち穂拾いとイナゴやタニシの捕獲は子供たちの仕事であった。
 茹でてから針でつまみ出し味噌味で煮付けるのだ。何とも泥臭いのでゴボウやショウガで佃煮風味にする。この稲刈りの時期はイナゴの収穫期でもある。蒸してから羽をむしりみりん醤油で炒めるのである。
 
 肴に和風居酒屋で戯れに取ってみる。何とも香ばしく滋味なるツマミであるが、思い出の味とは「似て非なり」。こんな上品な美味い食べ物では無かった。
 もう何というか、口元に近づけただけで「ゲボッ、ウオッツ」としたくなるような「味と匂い」だった。貴重な動物性タンパク質の供給源であったし、メタボリック・シンドロームなどは心配御無用の戦後の食料不足の頃の話である。      

 農作業の正面には冠雪の消えた富士山が煙っている。麓の自衛隊の演習地では茅を踏みしだいて戦車が行き来している。ドロドローン・ドロドローンと重い砲弾の響きが絶えることなく続く。朝鮮半島の核実験の報に呼応するかのように。
                 御殿場から裾野市に抜ける