十三 金沢兼六園
雪吊りの縄が雪の重みでピンと張っている。池に架かる石橋の上は凍っていて、まばらな観光客は遠目にその景色を眺めては、公園の除雪した道を通り過ぎて行っていた。源太郎は、明日からの仕事のため市内のホテルに泊まることにしていたが、のチェックインまで間があるので、寒いけれども軒下の椅子に腰掛けてその光景を眺め時間をつぶしていた。
「こちらのお席は空いていますか」と若い旅行ガイドのような女性が話しかけきた。見ると、彼女は外国の女性をエスコートしている。源太郎は単純で外国の人にはとにかく優しくすべきだと考えていたから、「ええ、空いていますよ。どうぞ」と言って、二人のために源太郎は立ち上がり、その景色を見るには最高の席を譲った。
「よろしいのですか」「ええ構いませんよ。これから他に行くところでしたから」と源太郎は見栄を張った。他の目的の個所もなく、公園をぶらぶらするしか時間を潰すことしか考えていなかった。「よかったわよ。お母さんここに座って少し休むのがいいわ」と手をとって足元が少し不自由な女性を座らせた。彼女の髪は赤毛で、エスコートしている女性は黒髪だった。
席を空けて、再び小道を歩いている源太郎は、さっきの髪の色が気になっていて、医学的にどうなっているか昔医者の友人から聞いた話を思い出していた。
「なあ、源太郎。今の女性は髪の毛を染めるので、わかりづらいが、人間の髪の色には、基本として金髪、赤毛、栗毛、黒髪で仕分けできる。そして、髪の毛色である程度の出身国や民族がわかるんだよ。髪の色は基本的に肌の色や瞳の色、特殊な場合だけど病気とも関連していて、皮膚癌や白皮症の患者は金髪や赤毛を持つことがあるんだよ。だから、女性の髪の毛の色は地肌に近い所を見ないとわからないよ」
「そうか。髪の毛で出身国がわかるんだな」
「エリアぐらいは推論できるよ。例えばだな、黒髪はアジアやアフリカ、中東、一部地中海ぐらい分布していて、其の内、東アジアの人々は直毛の黒髪だし、アフリカ系の人々は縮れた曲毛の黒髪を持っている」
「そうか、ストレートの黒髪は東アジアだけか」
「そうだね。だから欧米人は魅惑の髪色なんだよ。日本の女性は髪の色染めない方がいいのにね」
「だな。で、他の色は」
「栗毛は、ほぼ全域に分布するけど、多くは地中海、スカンジナビアぐらいまで、最もありふれた髪の色さ。だから、この色の髪は最も無難な色だから、お前の彼女もそんな色に染めているんだよ。ただ遺伝子的に栗毛と金髪は共通の遺伝子に基づいているから厄介なのさ。ところでお前の好きなフランス人の若い女性の栗色は、「Brunette 」というのだが、英語のように表現力の無い言語では黒髪のこともさすので注意しろよ。でな、栗毛はあらゆる種類の瞳の色に現れる可能性があるから、目の色も同時に見ないとエリヤはわからない。そして、毛の太さは細いほうだから、風にたなびくほどの柔らかさを持っているよ」
「そうか。お前はいつもそんな風に女性を見ているのか」
「仕方ないだろそれが仕事なんだから。そしてお前が好きなブロンドは稀にしか見られない髪色なんだよ。全人口に対する割合は2パーセントに満たないと思うよ。金髪の人は、薄いグリーンや明るい色彩の瞳の色なる。そして、金髪の種類は、プラチナブロンドから、暗い色のダークブロンドにまで種類があるのさ。そして最も毛の太さが細い。だからコマーシャルでふわふわに見える髪を表現するよね。黒髪は絶対無理だから、日本人が金髪に染めるのはやめたほうがいい。下手をすると虎のように剛毛に見える。あと一つは、赤毛だよね。昔は差別的に使われたことがあるが、珍しい色の髪なんだよ。スコットランドやアイルランドで比較的多く見られて、不思議なことにアメリカでも2パーセントぐらいが赤毛だよ。でもこの差別的な表現があったから、アメリカ人は結構栗色に染めていることが多い。赤毛も明るい瞳の色があって、お前が好きな歌手のFiorellaあたりもその仲間さ。だから彼女はイタリア人だが、スコットランドやアイルランド系かもしれないよ。髪の毛も太いから風にたなびかないね」
源太郎は、こんな話を思い出し、彼女の母親はイギリス北部の女性じゃないかと想像していた。
源太郎は、公園側のホテルにチェックインした。そして今夜は一人だし、金沢料理でも楽しもうと、ホテルのフロントで「光琳坊」という店を紹介してもらい楽しみに明日の会議の準備をしていた。
7時半にフロントに降りていくと、公園で席を譲った二人がフロントにいた。源太郎は目があったと思い軽く会釈したが、二人は気づかなかった。店は、ホテルの脇の小道を少し進んだところにあり、一人で食事をするのにはもったいないくらいの立派な料理屋だった。入り口まで、綺麗に除雪されていて、足元も全く不安がない。入り口の引き戸を開けると奥から女将が出てきて、下足を下げテーブルの席に案内された。本来料理屋だから、接待や会食に使われるので奥には個室が連なっているように感じた。席に着くと、お品書きが運ばれてきて、一番安いコース料理を頼んだ。源太郎は、この店で接待すると一体いくらかかるのか想像して酒と料理が運ばれてくるのを待っていた。
しばらくして、女将が入り口に行くのが見え、案内されてお客が源太郎の斜め前の席に座った。あの二人だった。源太郎に気づいた彼女は、軽く会釈をして、母親と言っていた女性に説明した。すると、女性は振り返り、こちらを向いてぎこちなく会釈をした。源太郎も、頭を下げた。
黒髪の彼女は、女将と料理について話している。そして、彼女たちも源太郎と同じコースを頼んだが、母親には生魚がダメだと告げ、別な料理をアレンジしていた。しばらくして、彼女は席を立ち「先ほどはありがとうございました。母は足が不自由なので、あの時は助かりました」と告げてくた。源太郎はお礼を言われるほどのことではないと、軽く腰を椅子から離して答えた。
「もしよろしかったら、ご一緒に食事をしませんか」突然の申し出に驚いたが、一人で食事をするのも退屈だし、もし二人をご馳走してもあの料金ならなんとかなると踏んで、女将を呼んで事情を話した。女将は、外人の相手が少なくなるし、それは隠して、喜んで源太郎の配膳を移動した。もともと四人席だから、店にしてもありがたかったことは事実だ。
「お仕事ですの」
「ええ、明日会議があってこちらに来たんですよ」
「そうですの。私たちは久々に日本に旅行なんです。母が私の父の故郷の金沢に来たいというものですから、元気なうちにと思ってきたんです」
源太郎は、綺麗な日本語を話す彼女は、きっと父親の再婚相手の母と旅行だと決めつけた。
「すいません。名乗っていませんでしたね。源太郎と言います」
「こちらこそ、母はジュディ、私はマリアです。智子と呼んでいただいてもいいですよ」
「初めてお目にかかり光栄です。お母様」と片言の英語で話すとジュディは微笑んだ。
「マリアさんは日本でお生まれになったんですか」
「そう見えますか。イギリスで生まれましたの」的が外れた。
「そうですか」
「私はハーフなんですよ」と母親にそれまでの会話の要約を英語で説明している。
「失礼しました。お生まれはイギリスの北のほうですか。アイルランドとか」
「ええ、よくお分かりですね。行かれたことがあるのですか」
「いいえ、ちょっとそんな気がしたので。適当に言ったまでですよ」
「初めてだわ。イギリスと言って、私たちの故郷を当てた人はなかなかいないわ」
「そうですか。光栄です」源太郎は髪の毛の色で、国を当てたことは決して言わなかった。しかし、彼女はどう見ても日本人だった。