Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

LPレコードの紹介(No.006) Nana Mouskouri Best Applause

2016年06月11日 | LPレコード紹介

このLPは、1973年に購入し結構聴き込んだもの。二枚組のLPで24曲が収められている。レコード番号は「FD-9259~9260」、フォンタナレコードから発売されたもので「Over and Over」を初めて聞いた思い出のLPでもある。今でもキズはほとんどなく、「Deep and Silent Sea」は今でもしびれる音を聞かせてくれる。

ここで、やはり永田文夫さんの解説にバトンタッチしよう。

ギリシヤの生んだ世界的な女性歌・・といえぱ、クラシック音楽ではマリア・カラス、そしてポピュラー界では、さしずめこのナナ・ムスクーリといったところでしょう。彼女は、何ともいえない美しい声と、みごとな表現力の持ち主です.レパートリイも幅広く、ギリシャやフランスの歌はもちろん、インターナショナルなヒット・ソングや映画主題曲など、いろいろなジャンルのものをとりあげて、ギリシャ語、フランス語、英語のほか、数か国語を駆使し、微妙な情きをこめて、巧みにうたいこなします.一度その歌声を聞いたなら、あらゆる人々が、彼女のとりこになってしまうことでしょう。ムスクーリが、ヨーロッパ第一級の名声を確立し、アメリカでも高い人気を持っているのも当然です。
 わが国においても、近年ようやく彼女の真価がみとめられ、レコードも次々に発売されて、好評を博しています。いささかおそきにすぎたとはいえ、まことに喜ばしいかぎりですが、それでもまだ充分とは言えません。たとえぱ、彼女の初期の録音「アテネの白いバラ」は、ドイツで驚異的なペスト・セラーとなり、ゴールデン・レコードをかくとくしました。この記録は、ヨーロッパ全体を通じて、いまだに破られていないそうです。1962年には、ルクセンブルグで、放送によるもっともポピュラーな歌手に与えられる「銀のライオン」賞を受賞しました。フランスでは、1967年にACCディスク大賞を授けられ、1971年には、イギリス、オランダ、オーストラリアなどの国々で、5
杖のゴールデン・レコードを贈られました。同年のイギリスにおけるLP盤のセールスを見ても、女性歌手の部では、シャーリー・バッシーやディオンヌ・ワーウィックらをおさえ、断然トップをきっているのです。そういった輝かしい業績を思えば、日本でももっともっと高く評価されてしかるぺきでしょう。そこで、このアルバムでは、彼女の極めつきの名唱をよりすぐって、その魅力をたっぷりと味わい、認識を新たにして頂こうという次第です。
 ナナ・ムスクーリは、1936年10月13日、ギリシャの首府アテネの生まれ。幼ないころから、歌が大好きだった彼女は、1951年、アテネ音楽院に入って、ピアノや和声を学び、未来のオペラ歌手を夢みていましたが、あるパーティでジャズを聞き、ご多分に洩れず、その魅力にとりつかれてしまいました。そしてたまたま、友人たちが作っている小さな楽団とともに、放送に出演し、ジャズ・ソングをうたったのが、音楽院の教授にバレて、間近かに迫った卒業試験を受けることを禁ぜられました。こうして、彼女は音楽院を退校し、アテネの「ザキ」という酒場で、ポピュラー歌手としての第一歩をふみ出します。
 いち早くムスクーリの才能をみとめ、後援を惜しまなかったのは、のちに「日曜はダメよ」などによって世界に知られたギリシヤの作自家マノス・ハジダキスでした。やがて1960年、彼女はスペインのバルセロナで開かれた地中海音楽祭に、ギリシャ代表として出場して、みごとに優勝の栄冠をかくとくし、ギリシャの歌謡祭でも成功を収めました。同年、アメリカからギリシャを訪れたヘリー・ペラフォンテも、ムスクーリの歌を聞いて感動し、'64年にはアメリカヘ招いて、翌年にかけて各地をうたってまわったり、共演のアルバムを録音したりしました。
 ムスクーリがレコードデビューしたのは1959年のことですが、フランスで発売されたのは’60年、そしてこの年kの暮、彼女はパリヘやって来ました。’62年12月には、ジョルジュ・プラッサンスの前座としてオランピア劇場に出場しました。’67年3月にはACCディスク大賞を受賞、10月には大スターとしてオランピアラ劇場のステージレに立ちました。こうして、押しも押されぬトップ・シンガーとなったムスクーリは、その後もロンドンのロイヤル・アルバート・ホールやニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルを開いたり、オランピア射場でロング・ランをおこなったり、世界を股にかけてめざましい活躍をつづけ、今日におよんでいるわけです。
 では、ナナ・ムスクーリの魅惑の演唱を、心ゆくまでお楽しみください。(解説・永田文夫)


源太郎はオーバーヒート、、、ラウラは余裕

2016年06月11日 | 毎日の話

「もう限界だよ。おとうしゃん。クールダウン中だから遊べない」

「ふぅーん。わたしの首輪新しくなったもんね」

「本当だ」

「おかぁしゃんが、買ってきてくれたんだよ」

「そうかい。それならおかぁしゃんと遊べば」

「おかぁしゃんはコンサートに出かけるから、夕飯作り中だよ。ほらね」

「じゃ。おとしゃんは一人で夕飯だな」

「だから、遊ぼうよ」

「ダメ。学校の勉強でおとしゃんはオーバーヒート。また宿題も出たし」

「じゃ、さっさと片付けたら」

「提出までには時間があるからさ、音楽でも聞くよ。ジェリーなんて散歩が終わって、夕飯食べたから、あとは寝るだけ」

「うん。じゃおやつをわたしは貰おうかな」

「あまい。ダメだよ」

「じゃ、ブラインドを壊しに行こうっと」

学校の宿題を見て、ため息をつく源太郎。ラウラはいいよな勉強なしだから。

「Mihoちゃん、遅くならないように帰ってきてね」

「いいえ。遅くなるからね。夕飯はそこに支度しておいたから」

音楽でも聞こうっと。


LPレコードの紹介「No.000」 Mina live '78 、、、000の訳

2016年06月11日 | LPレコード紹介

LPレコードの紹介なら、真っ先にこのアルバムを紹介すべきだった。大好きな、そして今でも現役なミーナ。その彼女の伝説のライブ録音アルバム。彼女のライブ盤は1972年の「Alla Bussola」があるが、このアルバムは別格。

イタリアには「伝説のコンサート」がいくつか存在するが、ミーナはこのコンサートを境に聴衆の前で歌うことをやめてしまった。理由はイタリアのゴシップ誌で多く書かれたが、本当の理由は今でも彼女しか知らない。当時のライブ録音だから音はイマイチだが、逆に会場の残響や息遣いが聞こえてきて、新鮮でいい。実は、このレコードの復刻版がCDで発売されていたこともある。しかし、マニアの中ではこのLPは欲しいコレクションの一つになっている名盤といわれている。

源太郎は行きつけだった神田神保町のレコード屋の親父さんに、なんとか入手して欲しいと頼み込んだ。親父さんから「なんとか、関係者に当たってあげるよと言って、中古品でもいいかい」と返事があり、「中古でもなんでもいいから欲しい」と願い出た。

そして、待つ事半年。突然連絡があり「源太郎さん。例のブツ(悪いものではない)。入ったよ」と連絡があった。嬉しくて、早退してレコード屋に向かった事を覚えている。

レコードは傷はほとんどなく、ちょっとジャケットが色落ちしてはいるが、入手できる最良のものを見つけてくれたわけだ。ちなみに音楽好きのある方が亡くなり、そのご家族から処分して欲しいと入庫した中にこのレコードがあったというのだ。もしそれが店頭に出ていれば、源太郎の手元には存在しない。だから親父さんには今でも感謝だ。

レコードの中には粒子の粗い印刷だが写真集もちゃんと入っていた。そんな思い出のアルバム。やっぱりこれをこのコーナーの一番にすべきだった。ので「No.000」とすることにした。


二枚の再生時間は70分ほどだ。だから現在ならCD一枚に収まる。

あっ、そうだこんなことをしていられない。「宿題だ」、「浅漬け」でなく、「生野菜勉強だ」


LPレコードの紹介(No.005)  時は過ぎてゆく/金子由香利

2016年06月11日 | LPレコード紹介

このLPレコードの録音は「素晴らしい」、いい音なのだ。スタジオ録音盤で、1980年に録音された。 フィリップスレコード、S-7103。

金子由香利さん直筆(印刷だけど)のメッセージがある。

人生の中でいろんな出会いがある限り

人と人との触れあいの絆は希望を生む。

たった一度の人生だからこそ

熱っぽく 激しく そして深く生きて行きたい

どう生きようとしたか、どう生きたかが

私の心の中で 交錯する。

けれど その日のための苦労は愉しいもの・・・。

こんな思いこそ「時は過ぎてゆく」に託して

せめて 謳うことの すべてを心から贈ります。

            金子由香利

 

B面の一曲目、有名な曲ですね。「IL VENAIT D'AVOIR 18 ANS」岩谷時子さんの訳詞は素晴らしい。年上の女性の切なさをうまく歌い上げていますね。

18才の彼は どこか幼くて いゝ男

私の心に 愛がもえたのは 夏の日よ

髪の毛直して マスカラつけると 笑う彼

可愛いこの人 私は誘惑してみたい

18才の彼は 愛の言葉など ひと言も

そして 映画や新しい唄の 話だけ

髪の毛直して マスカラつけるの

くせなのよ・・・年のひらきなど 忘れていたのね

 

 


こんなことしていちゃダメダメ、、、宿題

2016年06月11日 | 毎日の話

今朝は風もなく、本当に梅雨かよと思わせる天気。気象庁も「梅雨に入ったと思われる」なんて無責任な予報。まぁ仕方ないね。

昔、福井敏雄さん(関西の人なら、あぁ、あの福井さんと思い出すはず)とお会いして話をしたことがあるが、「職員の行事なのに天気予報を外すくらいなのに、長期予報なんて、、、」笑いながら話されていた。父と同じ年に生まれた福井さん。もう10年ほど前にお亡くなりになったが、実にユニークな気象予報官だった。

気持ちいいので、ラウラは窓際でヨタヨタになった大好きな簡易ベッドでまだお休み中です。その下のゲージでもジェリーもいびきをかいて寝ている(犬も結構大きないびきをかいて寝るんですよ。老人だからかも)

富士山は、どんどん雪が減っている。2014年6月8日の写真と今朝の写真と見比べてほしい。本当に雪が少なくなっている。何年か先の湧き水量は減るだろうが、富士山は大きい。まず水不足にはならないだろう。でも、関東の水不足は心配だね。

「2014年6月8日」

「2016年6月11日」

そうそう、「LPレコードの紹介コーナー」を作ったが、知人から「CDの紹介コーナー」は作らないのかとメールがあった。「いや、作らないよ。だって、内緒にしたい歌手がいるから」と返事しておいた。ファンは好きな歌手を独占したい。そうみんな思っているだろうし、新しいCDならネットですぐ検索できて、下手をするとYouTubeで聞いて終わりなんてことになったら、これからのスターの卵の活動費がなくなってしまうのは困る。だからスターダムにのし上がった人ならともかく、これからの歌手は温存しておきたいので、CD紹介はポツポツと毎日の記事の中で書いていくぐらいにしたい。そう思ったので、コーナーは作りません。ということです。

ただ、今日はイチオシの歌手を今日は紹介したい。(なんだよそれと言われそう)

「美人でしょ」「若いでしょ」そう「Annalisa」さんだよ。これは2012年の作品。

Annalisa - Splende (Official Video)


LPレコードの紹介(No.004) Nana Mouskouri in ITALIA

2016年06月11日 | LPレコード紹介

フォンタナレコード会社から1966年に発売された珍しいナナ・ムスクーリのイタリア語バージョンのレコード。

メガネがトレードマークの彼女。前に紹介したようにまだまだ現役81歳の大スター。このDVDは2008年の「The Farewell World Tour」だから74歳の時のものだ。そして、2010年にはLara Fabianのライブに出演もしていた。

さてと、LPレコードの紹介に戻ろう。このLP盤は輸入盤なので、解説も歌詞カードもない。彼女が32歳頃の録音だから、まだまだ若いし、ジャケットの彼女はとても知的で美人なのがわかると思う。彼女はギリシャ出身で、5か国の言葉をしゃべれる才女、そして美しい声の持ち主。何枚かのLPレコードの中でこのLPレコードを紹介するのは、理由がある。

それはB面の最終曲。I PARAPIOGGIA DI CHERBOURG。そぅ、1964年に封切られた映画「シェルブールの雨傘」の主題曲のイタリア語バージョンが入っているからだ。この音源は電子配信の日本iTunesでは検索されない。YouTubeではマニアがアップしているので、ぜひ聞いてもらいたい。

学生時代に映画館で見たシェルブールの雨傘(再上映だったが)。ミシェル・ルグランの名曲のイタリア語バージョンは、違った意味でいい曲だ。

ギィに妻マドレーヌ(Ellen Farner、綺麗な人だったなぁ)が子供のフランソワとクリスマスの買い物に行くと言って出かけた。一台の車がギィの経営するガソリンスタンドに入ってきた。運転席にはジュヌヴィエーヴ(Catherine Deneuve)が、助手席には女の子が乗っている。二人は、あのシェルブール駅で別れて以来の再会だった。言葉を交わす2人。彼女は娘の名はフランソワーズと告げ「会ってみる?」と彼に聞くが、彼は無言で首を振る。そして思い出を断ち切るかのように車は去って行き、雪の降りしきるガソリンスタンドに、買い物から帰ったマドレーヌと息子が帰ってくる。その二人を迎えるギィ。今の生活の幸せを表すかのように満ちあふれた笑顔がそこにあった。

なんて、切ない状況に流れるこの曲。そんな一曲がこのレコードに入っている。ぜひYouTubeを検索して聞いてみてください。