ウエブサイトを通じて知り合った紫波町在のN氏が参加する紫波町の歴史、民俗を研究する「どっこ舎」のセミナーがあるということで、このほど拝聴をして参りました。
紫波町日詰・・・権三ホール
どっこ舎(内城先生主宰)では毎月一度のセミナーや紫波町内はもちろん県内各地の紫波町に縁ある地の史跡や神社仏閣等の見学会も開催しているようです。
日詰の商店街の中にある「権三ホール」20~30名も入れば満杯となる小さなスペースでしたが、地元の郷土史やら民俗分野に興味をいだくメンバー多数がご参加されておりました。
N氏の発表もあるということ、さらに安倍時代の講演内容もあるという私個人としては興味深い内容があったこと、そして一番はこのどっこ舎の主宰でもある紫波町の郷土史家、内城先生に関して若干気になることがあって、実際にお話しを伺ってみたい、そんな思いが強かったものですから、思い切ってセミナーに参加したという顛末でもあります。
また、N氏を通じ県内の神社仏閣等の分野で色々とご教授いただき、さらに盛岡市内で忘新年会を複数会開催した折にお世話になっている盛岡在のM氏との久しぶりの再会や、これまたウエブサイトで早い段階から目にしておりました紫波町の歴史やら奥州藤原氏、そして義経伝説やらを詳しく掲載し、探求されておられますH先生とも初対面できたこと、大きな収穫もございました。
さて、本題である内城館に関して・・・・
以前も当ブログで「謎の内城館」として記載した経緯がございましたが、気になっていたことは、内城先生とは、遠野に縁の深い、阿曾沼氏遺臣で後に盛岡南部家に仕えた内城氏のご末裔ではないのか?このことが気になっておりました。
◆内城氏(うちじょう)・・・3系 紋 違鷹羽 本姓 菊池
内城治兵衛
閉伊郡細越村内城館に居て、氏とする。利直(南部)公の時に召し出され地方50石を賜う。内城館に居る。
女は駒木六兵衛の妻 駒木六兵衛(海上八幡館、駒木豊前次男)・本姓菊池
内城治兵衛有正
家督の後、現米20石となる。後に加増ありて合15駄2人扶持となる。
後又10駄3人扶持となる。
寛文12年9月23日盛岡にて死す。
※細越村とは現遠野市上郷町細越で、内城氏は太守南部利直に仕えて遠野に居たが後に盛岡へ移っている。
すなわち慶長5年以前は阿曾沼広長の家臣ということは間違いないことでもあり、本姓を菊池といわれる内城氏、平清水氏等の菊池一族とかなり深い由縁であると推測される。
今回、内城先生にこれに近いお話しをいたしましたが、先生からは紛れもなく先祖は遠野から盛岡に来たと仰せでしたし、自分の家系は三男の家系で享保時代に紫波に移り、代々医師の家系であるとお知らせいただせきました。
実は私も以前ちょっと調べていたのですが、その内容と符合したことで納得という場面でもありました。
◆内城久定(玄真) 内城治兵衛吉正三男 郡山御役医
病身に依て医師となる。郡山に住す。(郡山とは現在の紫波町)
利視公、享保19年甥内城嘉左衛門廣豊願に依て、廣豊新田の内10石の分地を賜る。郡山御役医となる。
上記の家系と思われますが、実は先生は先祖探求に遠野の上郷を訪ね、内城館跡を探したことがあるそうで、これには驚きました。
結局、手がかりとなる内容は得なかったということですが、ご自身で執筆された書籍を少し拝見させていただきましたが、内城家の出目のことや遠野のこと等も記されており、後でこの本をお譲りいたしますとの内容もいただきました。
というよりこちらで探して手に入れたいと考えており、いただくというのも恐縮することでもありますが、どうしても手に入れれないときはお願いしたいと思っております。
いずれ、私も内城館跡を探すことになりそうですが、遠野先人郷土史家誰一人として探し出すことも、特定もされていない正に幻の館跡、なんとか一歩でも近づきたいものです。
キーワードは上郷の菊池一族、駒込館の平清水某も気になるところで細越の内でもありますから、駒込館も怪しい・・・いずれ今年中にそれなりに目星を付けたいと思ってます。
N氏(HNぱぱれもん氏)の発表
京都の寺院、十数ヶ所の拝観をしたということで、そのスライドにての発表でもありました。
我家の伝説「松虫・鈴虫」に関りある安楽寺も訪ねていただいたそうですが、門が閉まっていて中に入れなかったとか、しかし、お気にかけていただき恐縮しております。
また機会がありましたらセミナーに参加したいと思っております。
それと紫波の白山神社に関して興味深い見解があって、これはまたの機会に記述したいと思ってます。
おまけ
少し前になりますが、春祈祷を行いました。
まさに麗らかな春といった雰囲気の夕方、本来はもう少し早めに執り行うのですが、今年も諸般の事情で少し遅れてしまいました。
ご祈祷の後は皆で会食・・・。
某うらわんととおのブログでは姿がみえなくなりつつあるという某メーカーのビール、遠野市内では売るほどございました・・・笑
当然ながらこれで乾杯・・・。
まだまだ某スーパーには在庫があるようですので、黄金週間で遠野へお越しの際はお土産にどうぞ・・・・笑
紫波町日詰・・・権三ホール
どっこ舎(内城先生主宰)では毎月一度のセミナーや紫波町内はもちろん県内各地の紫波町に縁ある地の史跡や神社仏閣等の見学会も開催しているようです。
日詰の商店街の中にある「権三ホール」20~30名も入れば満杯となる小さなスペースでしたが、地元の郷土史やら民俗分野に興味をいだくメンバー多数がご参加されておりました。
N氏の発表もあるということ、さらに安倍時代の講演内容もあるという私個人としては興味深い内容があったこと、そして一番はこのどっこ舎の主宰でもある紫波町の郷土史家、内城先生に関して若干気になることがあって、実際にお話しを伺ってみたい、そんな思いが強かったものですから、思い切ってセミナーに参加したという顛末でもあります。
また、N氏を通じ県内の神社仏閣等の分野で色々とご教授いただき、さらに盛岡市内で忘新年会を複数会開催した折にお世話になっている盛岡在のM氏との久しぶりの再会や、これまたウエブサイトで早い段階から目にしておりました紫波町の歴史やら奥州藤原氏、そして義経伝説やらを詳しく掲載し、探求されておられますH先生とも初対面できたこと、大きな収穫もございました。
さて、本題である内城館に関して・・・・
以前も当ブログで「謎の内城館」として記載した経緯がございましたが、気になっていたことは、内城先生とは、遠野に縁の深い、阿曾沼氏遺臣で後に盛岡南部家に仕えた内城氏のご末裔ではないのか?このことが気になっておりました。
◆内城氏(うちじょう)・・・3系 紋 違鷹羽 本姓 菊池
内城治兵衛
閉伊郡細越村内城館に居て、氏とする。利直(南部)公の時に召し出され地方50石を賜う。内城館に居る。
女は駒木六兵衛の妻 駒木六兵衛(海上八幡館、駒木豊前次男)・本姓菊池
内城治兵衛有正
家督の後、現米20石となる。後に加増ありて合15駄2人扶持となる。
後又10駄3人扶持となる。
寛文12年9月23日盛岡にて死す。
※細越村とは現遠野市上郷町細越で、内城氏は太守南部利直に仕えて遠野に居たが後に盛岡へ移っている。
すなわち慶長5年以前は阿曾沼広長の家臣ということは間違いないことでもあり、本姓を菊池といわれる内城氏、平清水氏等の菊池一族とかなり深い由縁であると推測される。
今回、内城先生にこれに近いお話しをいたしましたが、先生からは紛れもなく先祖は遠野から盛岡に来たと仰せでしたし、自分の家系は三男の家系で享保時代に紫波に移り、代々医師の家系であるとお知らせいただせきました。
実は私も以前ちょっと調べていたのですが、その内容と符合したことで納得という場面でもありました。
◆内城久定(玄真) 内城治兵衛吉正三男 郡山御役医
病身に依て医師となる。郡山に住す。(郡山とは現在の紫波町)
利視公、享保19年甥内城嘉左衛門廣豊願に依て、廣豊新田の内10石の分地を賜る。郡山御役医となる。
上記の家系と思われますが、実は先生は先祖探求に遠野の上郷を訪ね、内城館跡を探したことがあるそうで、これには驚きました。
結局、手がかりとなる内容は得なかったということですが、ご自身で執筆された書籍を少し拝見させていただきましたが、内城家の出目のことや遠野のこと等も記されており、後でこの本をお譲りいたしますとの内容もいただきました。
というよりこちらで探して手に入れたいと考えており、いただくというのも恐縮することでもありますが、どうしても手に入れれないときはお願いしたいと思っております。
いずれ、私も内城館跡を探すことになりそうですが、遠野先人郷土史家誰一人として探し出すことも、特定もされていない正に幻の館跡、なんとか一歩でも近づきたいものです。
キーワードは上郷の菊池一族、駒込館の平清水某も気になるところで細越の内でもありますから、駒込館も怪しい・・・いずれ今年中にそれなりに目星を付けたいと思ってます。
N氏(HNぱぱれもん氏)の発表
京都の寺院、十数ヶ所の拝観をしたということで、そのスライドにての発表でもありました。
我家の伝説「松虫・鈴虫」に関りある安楽寺も訪ねていただいたそうですが、門が閉まっていて中に入れなかったとか、しかし、お気にかけていただき恐縮しております。
また機会がありましたらセミナーに参加したいと思っております。
それと紫波の白山神社に関して興味深い見解があって、これはまたの機会に記述したいと思ってます。
おまけ
少し前になりますが、春祈祷を行いました。
まさに麗らかな春といった雰囲気の夕方、本来はもう少し早めに執り行うのですが、今年も諸般の事情で少し遅れてしまいました。
ご祈祷の後は皆で会食・・・。
某うらわんととおのブログでは姿がみえなくなりつつあるという某メーカーのビール、遠野市内では売るほどございました・・・笑
当然ながらこれで乾杯・・・。
まだまだ某スーパーには在庫があるようですので、黄金週間で遠野へお越しの際はお土産にどうぞ・・・・笑
紫波もすばらしいところ、そして興味ある歴史を伝えるところと常々思っておりましたが、この度、セミナーにお邪魔してたいへん勉強になりました。
次回は26日ということですが、野暮用で参加は出来ません。
しかし、必ず機会を設けてまたお邪魔したいと考えております。
また書籍もどっこ舎印刷部でも注文できるようなので、是非に購入したいと思ってます。
今後共よろしくお願いします。
ずっーと怠けていたどっこ舎のホームページをどっこ舎印刷部を開設したのをきっかけにリニューアルしていたところ、やまねこさんのホームページにたどりつきました。
4月26日にも是非、いらしてください!
内城弘隆さんの「盛岡藩御役医 どっこ医者物語」も用意しておきますね。
テコ
中世の頃の細越村、今は足ヶ瀬の辺りまでの広い範囲ですが、細越氏の居舘である林崎館やその後の森下館が本拠であるならば、すべた峠手前から大寺平倉境にかけてが細越村だったかもと推測しております。
番屋から平倉駅にかけての北側の山野、森下側からでしたら南側の山野、あの山並みの中に館跡が眠っているのではと想像もしてますが、菊池一族といわれる内城氏、本姓菊池の平清水氏縁の駒込館辺りもなにか臭い・・・・やはり難しいですね・・・汗
呪詛の封印が解けたのですか?これからは沈没しないで済みます・・・笑
もともとの細越村はどこいら辺なのかしらん?
と、ワタクシも心が400年前に飛んでいきそうです。
それにしても、情報を求めて行動するとらねこさんに頭が下がります。
オイラ、何の役にもたたないけれど、とらねこさんからの情報は大した感謝しているのです。
今度から呪詛しません(爆)
酒の肴のかつおは私用ではございません・・・汗
一切れ口にしましたが、私にとっては生臭くてとてもふた口目は無理でした・・・汗・・・色々とタレなんかも工夫してもらったのですがね。
紫波でのセミナー、なかなか毎月濃い内容を扱っているみたいでしたので、その内容をみながら今後も参加したいと思ってます。
上郷の内城、細越の内ということですが、なかなか難儀しそうな雰囲気、でも4百年前までは確かに居た一族、他の一族の足跡が市内には割と残されているところをみますと、何かしらの手かがリ的なことは判明しそうな思いもございます。
機会がありましたら共に探求でもいかがですか?
その際はよろしくお願いします。
今日、職場に来た上郷の人に内城について聞きましたが、続石に知らないようでした。入手予定の本、後で紹介して下さい。
とりたてをギュッと一缶に入れたものですから、そのままだと思います・・・笑
是非に次回のお土産に・・・おそらくまだ残っているものと思いますぜ。
買う買う
とれたてかどうかは微妙ですが~(w
ビール値上がりのこの頃・・・・
あ、メインは歴史談話でしたね・・・
ええっと・・・=3=3=3
紫波ではありがとうございました。
内城先生とのご縁、これをきっかけに何かしら継続できたらと思っておりますし、例の書籍もなんとか入手できたらと考えております。
有正と吉正・・・南部藩参考諸系図から書き写した内容ですから当方の読み違いやら、精査もしませんでしたので間違いがあるかもしれません。
なんかいつか講師もお願いされそうな雰囲気もありましたが、その際は早めにお知らせくださいね。
前もっての勉強と話術の訓練もしなくては・・・汗・・・笑
N先生の時折笑をとる話術、流石でした・・笑
やきり地元ということでビールは数多くあるのかな?結構在庫があるようですが、みた範囲で終わりかもしれません。
でも黄金週間までに全て売れるといえば、これもまた疑問ということで、来遠の際は是非にご賞味ください。
歴史関連、望むところです。
本来はこちらが主でもあったはずですから、他の分野も楽しみながら、史跡等もということで・・・・。
遠いところありがとうございました。遅い時間でしたが、無事帰れたようでよかったです。
なるほど、内城氏は阿曽沼氏との関連、しかも本姓菊池。おもしろいですね~。どっこ医者物語の本、私も持ってますが、系図等載ってますヨ。
有正→吉正?
本を入手したらぜひサインをもらってください。
(^^)/
こっちじゃかなり早い時期に姿を消しましたよ。
いや~、うらやましい。
陸奥話記、前九年の役もいいですね。
しばらく歴史の濃い話からは遠ざかってましたけどそろそろこういうのに復活するのも良さそうです。