経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

高齢化

2009年02月04日 | Weblog
「なるほど、高齢化とはこういうことか」と、
お葬式3つ。お見送りしたあとを振り返り、
思うことでした。


生の数だけ死があるのですが、戦争のない国では、
これからお葬式ラッシュが起きる。当たり前です。
それが高齢化時代ということで、その日本の縮図が
ここにある。うちの自治会、立て続けのお葬式です。

産めや増やせや、いけいけどんどんの時代が
団塊の世代をつくり、経済の高度成長を創った。
そしてその彼らが高齢化時代を迎え、年金を貰い始める。
支えるのは、少子化時代に生まれた若者達。
これが、今の国。そしてその小さなモデルが我が自治会。

ライフサイクルの視点で見れば、
企業でも同じ現象がおきるのは当然。
企業に高齢化、お葬式どんどんの時代が来た。

108人参加中で花嫁さんとその家族しか知らない
結婚式に出て、赤ワインを飲みながら、
そんなことを考えていました。

その花嫁。私の事務所で24年前に生まれたのです。
彼女のお目でたが、うれしく飲み過ぎてしまいました。
飲めば、隣の妻のにらみも怖くない。

人智で対応できことしか、人は対応は出来ない。
対応の相手がわかってて、初めて対応できすなる

私は、自分が対応できていることも怠けて、
対応していないことがいっぱいあって、
なんだか、最近とてつもなく忙しいのは、
そのせいだと思ったりしています。

あるいはこの大忙しは私が呼び込んでいるのかも。
というのは、かねがね勉強しておけば良かったのに、
怠けていたために忙しくしている、
といったことがしばしばあるからです。

馬鹿な例ですが、エクセルでの報告書に、電卓で計算。
手書き以上の時間をかけたりしています。
なにかにつけ知識の不足と大切さを痛感しています。
体重も飲み過ぎも、余計な対応を自ら作っている。

そんなことで日常生活、経営のことを見直していこう。
それが、二日酔いから得た収穫です。
二日酔いのお陰で2キロの減量。これも収穫。

少しだけ、身も心も軽くなったところで、さあ仕事へ。
今日は、鹿児島の星ヶ峯で1つ。
それから熊本の五木村です。

脱デフレのキーワード

2009年02月02日 | Weblog
デフレは、市場の縮小のスパイラルである。
陽気といえば誤解を招きそうだが、
ようは喜怒哀楽が激しいインフレに対し、
デフレは暗く、陰気である。

なぜならその背景、本質的なところに、
人間的、国際的な相互不信、疑心暗鬼、不透明感、
といったものが存在しているからだ。

失業者が急増する、ということは、
そうしたことを加速するそのものなのだが、
企業はやめるのではなく、加速をさらに加速している。
これを「自ら墓穴を掘る」という。

自分以外の誰かが、と誰もが思って
自分だけ良しの行動に出る。

春闘の要求は企業側から出され、
そのテーマは「賃下げ」、「首斬り」だ。
企業が生き残れば良し、人のことは
自分以外のだれかが、という論理だ。

ものが売れないから生産調整する。だから仕方がない、
ということだが、それは嘘。

嘘が言い過ぎなら、建前半分、半分あやしげと言い直そう。
本音は、他社の生産調整は良し。どんどんやれ。
だが自分のところは別。
みなそう思い、そうするから、マクロベースの生産調整は、
まずうまくいったことがないのだ。

それで、さらにものあまり、物価下落、
これは良いのだが賃金が下がって失業者が増えている。
だから、さらに消費低迷は加速して止まらない。
これがスパイラルだ。

デフレは物価が下がることで、
消費は促進され、底打ちすると発言していた某評論家が、
無知をさらすことになる。
賃金がさがれば、消費は今にまして低迷する。
この繰り返し、スパイラル的な動きこそ、デフレの怖さである。

過去歴史にデフレは、数回発生した。
それは、不謹慎な言い方だが、人為的に戦争を誘発させ、
インフレに転換してしまった。
今この世界の中で、デフレ対策のために
戦争を起こすことは絶対に許されない。
つい近日までそうした企みの輩はいたが、今は去った。

それ以外の術としての対応は過去にはない。
国際的な専門家がだれも処方箋をだせないのは、
過去に経験がないことだからである。

だが、専門家はもちろん、私みたいな超素人でも、
対応の方向、キーワードは、なんとなくわかる。

オバマ大統領の演説ではないが、「チェンジ」なのである。
これを強い言い方をすれば、「毀し創ること」である。
保守派が基盤の政治家には、「毀し」がいえない。
(小泉さんの例外はある)。

だから、「チェンジ」なのだが、
以前のものをそのままの「チェンジ」は、あり得ないのである。
では、その「チェンジ」のキーワードはなにか。

それは、既に触れている。
人間的、国際的な相互不信、疑心暗鬼、不透明感、
といったものを、捨て、信頼、透明へのチェンジだ。

たとえば中国の歴史をみると、
経済が落ち込み民が苦しみ始めると、
社会が混乱期に入ることが、実に明確である。
以前ここに書いたが、政治の存在は経済的な問題が何もない
平和で、豊かな状態では、民にとってはどうでも良いこと。
そうした状態ほど、いい政治、いい王様なんだ、と。
これは論語で孔子がいっていることである。

信頼とは、そういうことだし、不
信感とは、とてつもない巨大な恐怖の源である、
ということ。ここからチェンジすることだと思う。