きっかけは平成に入った年。お盆の終わりのこと。
ある製造業、K社の再建をお手伝いした。
現経営者46歳。10年前先代から引き継いだ時の売上。
19億円少々。 経常利益は4%、優良企業といってよい。
翌年20億円を超え、これがピーク。以来減少一途。
私が御縁をいただいたときは、売上は半減していた。
おつきあいを始めて、不思議に感じたことがある。
それは、この社長の口から「消費者」と言う言葉を聞かないこと。
従業員も然り。パンフやHP、会議資料、社内文書にも。
わかったことは、社内に、消費者という概念そのものがないのだ。
この会社にとってお客様は、スーパーであり、ホテルや商店であり、
外食店、飲料店であり、給食センターであり。
これらを当社では、ひとからげで「客先(販売先)」と称していた。
もちろん言葉としては、「消費者」という言葉は皆知っていよう。
だが、自分の会社と消費者との関わりがあるといったことが、
認識されていないので、当然実感できないのである。
知らないのでは、ない。
忘れているのでもない。
無視しているのでもない。
そうではない。
最初から「消費者」の概念がないのだ。
「消費者? うちに関係ないや!」といった感じなのである。
人は、眼に入ったものでないと、見えない。
人は、見たものでないと、描けない。
なんで製造業である自分の会社が、
消費者のことを考えなければならないか、
消費者との接点を持たないから実感がわかないのである。
消費者のことはわかっても、自社の営業活動の中に、
組み入れる必要性は感じないのである。
どんな事業も消費者の購買決定という協力で
経営が成り立ち、自社が生きていけるという根本、
これを考えることなく経営に勤しむ経営者はごまんといる。
そのことは、それまでの私の体験で、実感できていた。
しかし、現実問題として第一次産業、第二次産業に属する企業には、
本来、そのままでは消費者接点がないのである。
「消費者相談室」といったセクションを設けられたとしてもだ。
自分が消費者である、ことすら企業では、忘れてしまうのだ。
毎朝唱和される、経営理念も、顧客第一主義も、
百貨店などできかれるエスカレータのあの言葉とおなじなのだ。
「よい子のみなさん。エスカレターでは遊ばないようにしましょう」。
ある製造業、K社の再建をお手伝いした。
現経営者46歳。10年前先代から引き継いだ時の売上。
19億円少々。 経常利益は4%、優良企業といってよい。
翌年20億円を超え、これがピーク。以来減少一途。
私が御縁をいただいたときは、売上は半減していた。
おつきあいを始めて、不思議に感じたことがある。
それは、この社長の口から「消費者」と言う言葉を聞かないこと。
従業員も然り。パンフやHP、会議資料、社内文書にも。
わかったことは、社内に、消費者という概念そのものがないのだ。
この会社にとってお客様は、スーパーであり、ホテルや商店であり、
外食店、飲料店であり、給食センターであり。
これらを当社では、ひとからげで「客先(販売先)」と称していた。
もちろん言葉としては、「消費者」という言葉は皆知っていよう。
だが、自分の会社と消費者との関わりがあるといったことが、
認識されていないので、当然実感できないのである。
知らないのでは、ない。
忘れているのでもない。
無視しているのでもない。
そうではない。
最初から「消費者」の概念がないのだ。
「消費者? うちに関係ないや!」といった感じなのである。
人は、眼に入ったものでないと、見えない。
人は、見たものでないと、描けない。
なんで製造業である自分の会社が、
消費者のことを考えなければならないか、
消費者との接点を持たないから実感がわかないのである。
消費者のことはわかっても、自社の営業活動の中に、
組み入れる必要性は感じないのである。
どんな事業も消費者の購買決定という協力で
経営が成り立ち、自社が生きていけるという根本、
これを考えることなく経営に勤しむ経営者はごまんといる。
そのことは、それまでの私の体験で、実感できていた。
しかし、現実問題として第一次産業、第二次産業に属する企業には、
本来、そのままでは消費者接点がないのである。
「消費者相談室」といったセクションを設けられたとしてもだ。
自分が消費者である、ことすら企業では、忘れてしまうのだ。
毎朝唱和される、経営理念も、顧客第一主義も、
百貨店などできかれるエスカレータのあの言葉とおなじなのだ。
「よい子のみなさん。エスカレターでは遊ばないようにしましょう」。
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