経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

わからないこと書く人がわからない

2009年10月16日 | Weblog
今は、驚かないが、最初は驚いた。いや悲観した。
論文が、ほとんど読めない。わからないのだ。
「ショック」。  

経営に関する学会だから、テーマは経営に関係している。
日本の学会だから、それらは日本語で書かれている。
私は日本人であり、日本語は達者である。
経営の仕事を30年やっているから
一応そこそこ経営は、分かっているつもりだ。

それが正直言ってほとんど、理解できないのである。
自分の力はこの程度のものか、というのが、
上に書いた「ショック」の意味である。
学会ってこんなにもレベルが高いのかと驚きもした。


とりあえず、横文字、専門用語の羅列されたものを、
辞書を引き引き、解読してみた。
語句の意味は分かったが、文章がつながらない。文意が不明。
要は、何を書いてあるのか。言いたいのかが分からないのです。

それで1に難しい学会、2にえらそうに振る舞う学者が多いところ、
といった2つの基準でもって、順次退会してた。

最終的に、1つぐらいはということで、実践経営学会が残りました。
消去法で1つ残したのですが、退会したくないという積極的な理由もあります。
それは、こういうことがあったからです。す。

この学会の全国大会で、午前の部を終え、昼時。
私にとってはちんぷんかんぷんな論文発表者(スピーカー)にも、
丁寧に、暖かい、思いやりのこもったコメントを述べることで
定評あるX先生と、たまたまテーブルが一緒になりました。

「発表は、何とか日本語になっている。でも論文はまったく言語不明」。
「なんであんなわけのわかんない論文を書くのだろう」。

「学者は学者馬鹿で、体裁もあるから分かった顔をしていますが、
田上さんは、あれ、お読みになれます?」


なーんだみんな、デンマークの童話作家アンデルセンの
あの「裸の王様」の取り巻きと同じなんだ。

これで、この学会残留することになりました。

また、これが縁で、論文審査審査の役回りを承ることになった。
X先生のおかげで、裸の王様の周囲の人たちの中の一人から脱し得た
今の私は劣等感にも辞書引き引きに悩むこともなくこの役をやっている。

もちろん今でも訳わからない論文が大半。
いや年ごとに訳わからない論文は増えている。
とりわけ杞憂していることだが大学院生、若い人ほど文章の体を成していない。
でも同じ大学院生でも留学生、それも東南アジア各国の
学生の文章は実に美しい日本の文章で、美しくわかりやすい。
ですから若い人、というくくり付けは的確ではないのでしょうが。

わからない話は、聞いてもわからないから馬耳東風する
わからないのは自分のせいではない。相手がわかってないんだ。
だから、ことさら難解な論文は、そう判断した時点で外す。

不遜だが、不遜で良い。不遜は自分の中に留め置き
他人に言わなければいい。

次にこの基準を、生き方に置き換えてみる。
おもしろくない話は避ける。
難しい本や話は、読まない。聞かない。
読者に読んでもらわなければならない業の人が、
読めないような難解な文章を書くこと自体、おかしい。
それは映らないテレビを売るのと同じことなんだ。

そう割り切って、心と時間に実にゆとりが出てきた。
楽しい。リンダみたいに「困っちゃうなー」と言うことも少なくなった。

大木先生の話を聴き、さらにそれは心の中で進化した。

「わかっている人がわかりやすい話をできる」。
これを裏返す。
「難しい話をする人は、自分でもわかっていない」。

水が土で決まるように、そうした先生に教わる学生と
そうではない学生は、これからの生き方の土壌が随分と
異なるのだろうな、と、臨席の学生達が羨ましくなった。


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