経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

鎖国もダ!

2012年04月27日 | Weblog
「仏教」も「儒教」も輸入されたものである。





仏教がかってに海を超えて、この日本に

のこのこやってきたのではない。

人が運んできたのである。



では、だれが。何のためにか、





この辺から、私の想像の世界になるが、

そう大きくははみ出していないと思う。



持ち込んだものは、漁師などの可能性もある。

対馬に行くと、日本より韓国が近いことが実感できる。



夜、国民宿舎からみえるのは釜山の夜景だ。

対馬から韓国までは最短距離で49.5キロ。



お互いの漁師達は、同じ海を仕事場として

親しく交流しあっていて、当然なのだ。



誰が仏教なり論語を持ち込んだにせよ、

それを流布するか、封じ込めるかの判断するのは、

まず体制である、と考えて良い。



かりに、派遣された人が持ち帰ったものが、

その全容であったとしても、

体制が仏教の本質や全容を丸ごと、

民に流布するようなことはあるまい。



考えるに、それらの中から自分たちの体制にとって

都合の悪いよい部分を切り捨て、都合のよい所を

残し、切り貼りしたものを、有り難き仏教として

坊主達を介して、普及させたものと考えてよい。

当然だ。



私たちが、道を歩いていて紙くずは見向きもせず、

お札なら拾うのと同じである。



しかし、あとになって、

体制から流れた切り貼り経典にものたらず、

あるいは疑義を感じ、もっと勉強してみようとか、

本物に触れたいとか、さらに奥義を深めたいとか、

いったごく一部の人が、禁を破り自ら中国や韓国に渡り、

初めて仏教の実態を知ることになった、

ということではなかろうか。。



以降、宗教の世界も体制派とそうでない派と、

大きくはふたつの流れができたことは、

決して不自然なことではない。



このことが教訓となり体制をして、

いわゆる「仕分け」が必要になった。

それが「鎖国」だ、と私は考えている。



このことは次に述べる。

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