経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

自画自賛

2009年02月21日 | Weblog
本来は、理念など唱えなくても
商人の存在そのものが社会貢献でした。

旅の商人が峠を超えて、山里に来てくれる。
そのことが村人にとっては、どんなに有り難かったか。
まるで今の子供達が、クリスマスを迎える気持ちで、
村の人は彼らを待っていたに違いないのです。

商人は、商品だけではなく
各地の情報も伝えてくれる。
村の人たちは、むさぼるように商人の話す都の話に
耳を傾け、目を輝かしたに違いがないのです。

一方、商人も自分の存在が、人々に役立ち、
有り難がられている。それだけではない。
そうした村人達のお陰で、自分の生業が成り立っている。

商人もそうしたこと頭に描けるからこそ、
重い荷物を背負って村から村への長い道、峠を越えられた。
峠の向こうに、私を待っている大勢の人たちがいる。


村内に酒屋がないことが、どんなに困ったか。
そこへある人がみんなが困っているのならとお店を出した。
酒だけのつもりが、あれもそろえて。これもおいてよ。
で、よろずやになった。郡部に今も残る30坪の百貨店だ。

「俺の村に、お店が出来た」
「俺たちのお店だ。なんでもあるよ」
「もう峠を越えて、酒を買いに行かなくて済む」。

村の人は、どんなに喜んだか。有り難かったか。
私の頭には、その小さなお店を見て喜ぶ村の人の顔が
ありありと浮かぶのです。おらが村の「百貨店」。


これが、街作り専門の先生が麻生風の口調で言う

「ここ、自然発生的商店街」
「この町、非近代的商店だらけ」
「取り残された地方商店街の典型事例」
「最寄り品店しかなく、専門店がない」」

といった街です。その「原点」です。


私は、こうした自然発生的商店を贔屓にしています。
大好きです。そして人口的商店街が嫌いです。

商いの原点に戻れとは、
このようにその存在そのものが意義があり、
歓迎される、ありがたがられる、頼りにされる存在である。
商人は元来そうした存在そのものとだ思っています。

そして、その意味で堂々胸を張り、
またお客様に支えられて生きて行っている
という意味で常に謙虚である。それが商人の原点なのです。

そうした自意識を常に忘れないでほしい。
そうした商人との出会いを楽しみ、そうした商人をはぐくめる
そうした生業を得た私をほんとうに幸せ者だと、
これはもう自画自賛しているのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿