お願いすると媚びになりますし、無理して押しつけると強制になります。それを超えると、「脅迫」で、犯罪になります。営業は、買う買わないを相手の選択に委ねる、ここまでが領域です。
なぜなら無理や強制は、次の購買の阻害要因になるからです。何事でも、「し続ける」という命題がありますが、営業にはその視点が抜けていた。無視していた歴史が長かったのです。だから営業マンの勤務寿命は短く、転職が多かった。使う方からみたら、使い捨て。
またそのことが、今の「売れない時代」を招いた大きな要因の1つになった、といえましょう。
生きている事自体、「引く」ではなく「出ている」に属しますから、それに逆らっての生き方は万有引力を敵に回すに等しい。自然を対応し活かすることに、生きることの基本があるのです。
「だから営業は、やはり押せ押せ、積極的に、ではないか」ということとは、本質的に異なる。なぜなら自分の押せ押せにより、相手がたじたじでは相手は逃げだし、かりにそこで成約できても、リピートがきかないからです。ですから微妙な違いですが、全く異なるもの、という理解が不可欠なのです。
営業には、「手を相手に渡す」ということが大切です。それは手を渡した時点で、相手が「快諾、これからも君に頼むよ」ということが確立されたなかったら、出来ないことです。ここに真の営業の奥深さがあるわけですが、皆この奥へ踏み込めない。
それで、やっていることは、空の缶詰をどうしたら売ることができるか、といったテクニックのお勉強か、「がんばり、努力、根性、粘りが足りんぞ。それいけどんどん」といった特訓道場。セールスや営業の教育は、そのどちらかでした。
缶詰を買って、中が空だったら、消費者は皆怒る。だが、「役立つセミナーだよ」といって役立たなかったとしたら、怒る経営者は、まず少ない。
飲みに行くと言ったら、妻はいい顔しないが、勉強会へいく、ということなら文句は言われない、といったことでセミナーが大流行。
まじめな経営者でも、そのセミナーが、成果に結びつかなくてもあまり気にしない。引いているというか諦観の境地か。中には、無意識あるいは意識的に、行動したくないための口実、あるいは現実逃避のためにお勉強に夢中になる人も結構いる。彼らにとっては、成果が出るということは、現実に戻ることを意味するから勉強をやめることはむしろ恐怖になる。だから次々勉強して回る。こうなるともうセミナー病。やめると不安で禁断症状まで出る。
講師の方も同様。なかには「実行しないことを前提に」といった話をする人もいないとはいえません。実践を前提ではなく、知識だけを与える講師もいるでしょう。
さて、かくいう自分のスタンスはどんなんだ、と言うことですが、これが私がこの仕事に入ってから目指している課題なのです。それでもう20年もの間、長く自分を問いつめてきました。その結実を、名古屋で5月21日から月1回,5回シリーズで行う「カムサ 真・商人塾」http://www.kamsa.cc/kamsa_keiei.html で出してみる覚悟です。
その概略を簡単に言えば、参加者に1つの試み(疑似事業)をやっていただき、その成果をセミナー最終日に決算する。その決算に如何が、私のセミナーの成果如何になる、ということです。
このカムサでのセミナーでは、1に成果を出す。1にMMAPを体得。1に脳力開発の真髄をつかんでもらう、の3つを目的とする。その狙いは、次で述べます。
鹿児島の昔からの言い伝えに「泣こうか、飛ぼか。泣くより、ひっとべ」という有名な言葉があります。飛べるか飛ばないか悩むより、飛んでしまいなさい、という教育訓話?です。
私の専門の、脳力開発でいう脳のシクミがそうなんです。やらないこと=動かないこと=死、を意味する。行動することが根本なのです。
考えることは、行動しないことを意味します。先に、経営者の勉強、セミナー好きが実は行動先延ばしの口実、といったのはそういう意味です。
倒産した経営者は、表向きは放漫経営などと言われますが、私からみたらどうしてどうして、みな勉強好き、セミナー好き、D社の元会長N氏などその典型例。
経営者にとって、経営の勉強は手段のはず。それが目的化し、本来の目的を失い、経営をダメにする、といったことは結構多いのです。参加された方には、そんな馬鹿なことをやってほしくないと申し上げたい。経営を成すのに、よけいな回り道(知識もセミナーも勉強も視察も含めて)しなくてもいいよ、とも申し上げたい。
青い鳥のチルチル、ミチルが探していたものは、こんな手近にあるんだ、と気づいてほしい。
私は、なにも教えることはしません。そんな必要もありません。私がやることは、「皆さんが自分自身で正しい(=売れて儲かる)経営判断を出来るようにしていただくことです。
師の城野 宏から「営業の仕事は、営業がいらなくても売れてしょうがないようにすることが本来の仕事」とたたき込まれ、それが私のライフワークになり、今日まできました。
5月21日から、私は、今度は自分で立てた自前のライフワークへの新たにチャレンジを始めます。それは「私の仕事(経営指導等)を、必要としない企業を創ること」です。翌22日、62歳になる予定(^_^)ですから、30年以内に30社ぐらいまではやる決意です。
なぜなら無理や強制は、次の購買の阻害要因になるからです。何事でも、「し続ける」という命題がありますが、営業にはその視点が抜けていた。無視していた歴史が長かったのです。だから営業マンの勤務寿命は短く、転職が多かった。使う方からみたら、使い捨て。
またそのことが、今の「売れない時代」を招いた大きな要因の1つになった、といえましょう。
生きている事自体、「引く」ではなく「出ている」に属しますから、それに逆らっての生き方は万有引力を敵に回すに等しい。自然を対応し活かすることに、生きることの基本があるのです。
「だから営業は、やはり押せ押せ、積極的に、ではないか」ということとは、本質的に異なる。なぜなら自分の押せ押せにより、相手がたじたじでは相手は逃げだし、かりにそこで成約できても、リピートがきかないからです。ですから微妙な違いですが、全く異なるもの、という理解が不可欠なのです。
営業には、「手を相手に渡す」ということが大切です。それは手を渡した時点で、相手が「快諾、これからも君に頼むよ」ということが確立されたなかったら、出来ないことです。ここに真の営業の奥深さがあるわけですが、皆この奥へ踏み込めない。
それで、やっていることは、空の缶詰をどうしたら売ることができるか、といったテクニックのお勉強か、「がんばり、努力、根性、粘りが足りんぞ。それいけどんどん」といった特訓道場。セールスや営業の教育は、そのどちらかでした。
缶詰を買って、中が空だったら、消費者は皆怒る。だが、「役立つセミナーだよ」といって役立たなかったとしたら、怒る経営者は、まず少ない。
飲みに行くと言ったら、妻はいい顔しないが、勉強会へいく、ということなら文句は言われない、といったことでセミナーが大流行。
まじめな経営者でも、そのセミナーが、成果に結びつかなくてもあまり気にしない。引いているというか諦観の境地か。中には、無意識あるいは意識的に、行動したくないための口実、あるいは現実逃避のためにお勉強に夢中になる人も結構いる。彼らにとっては、成果が出るということは、現実に戻ることを意味するから勉強をやめることはむしろ恐怖になる。だから次々勉強して回る。こうなるともうセミナー病。やめると不安で禁断症状まで出る。
講師の方も同様。なかには「実行しないことを前提に」といった話をする人もいないとはいえません。実践を前提ではなく、知識だけを与える講師もいるでしょう。
さて、かくいう自分のスタンスはどんなんだ、と言うことですが、これが私がこの仕事に入ってから目指している課題なのです。それでもう20年もの間、長く自分を問いつめてきました。その結実を、名古屋で5月21日から月1回,5回シリーズで行う「カムサ 真・商人塾」http://www.kamsa.cc/kamsa_keiei.html で出してみる覚悟です。
その概略を簡単に言えば、参加者に1つの試み(疑似事業)をやっていただき、その成果をセミナー最終日に決算する。その決算に如何が、私のセミナーの成果如何になる、ということです。
このカムサでのセミナーでは、1に成果を出す。1にMMAPを体得。1に脳力開発の真髄をつかんでもらう、の3つを目的とする。その狙いは、次で述べます。
鹿児島の昔からの言い伝えに「泣こうか、飛ぼか。泣くより、ひっとべ」という有名な言葉があります。飛べるか飛ばないか悩むより、飛んでしまいなさい、という教育訓話?です。
私の専門の、脳力開発でいう脳のシクミがそうなんです。やらないこと=動かないこと=死、を意味する。行動することが根本なのです。
考えることは、行動しないことを意味します。先に、経営者の勉強、セミナー好きが実は行動先延ばしの口実、といったのはそういう意味です。
倒産した経営者は、表向きは放漫経営などと言われますが、私からみたらどうしてどうして、みな勉強好き、セミナー好き、D社の元会長N氏などその典型例。
経営者にとって、経営の勉強は手段のはず。それが目的化し、本来の目的を失い、経営をダメにする、といったことは結構多いのです。参加された方には、そんな馬鹿なことをやってほしくないと申し上げたい。経営を成すのに、よけいな回り道(知識もセミナーも勉強も視察も含めて)しなくてもいいよ、とも申し上げたい。
青い鳥のチルチル、ミチルが探していたものは、こんな手近にあるんだ、と気づいてほしい。
私は、なにも教えることはしません。そんな必要もありません。私がやることは、「皆さんが自分自身で正しい(=売れて儲かる)経営判断を出来るようにしていただくことです。
師の城野 宏から「営業の仕事は、営業がいらなくても売れてしょうがないようにすることが本来の仕事」とたたき込まれ、それが私のライフワークになり、今日まできました。
5月21日から、私は、今度は自分で立てた自前のライフワークへの新たにチャレンジを始めます。それは「私の仕事(経営指導等)を、必要としない企業を創ること」です。翌22日、62歳になる予定(^_^)ですから、30年以内に30社ぐらいまではやる決意です。
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