花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる途」
国会中継が終わり、チャンネルを回していると、
どこの局からか、映画「愛染かつら」の主題歌、
「旅の夜風」(作詞 西條八十)が流れる。
ふと、考えた。
唄は世につて、唄は世につれ、と言う
「 花も嵐も」とは、何を意味するのか
プラスもマイナスも厭わず、これまでの良かったこと(花)も、
辛いこと(嵐)も打ち捨てて、といったことになろうか。
「乗り越えて」とは、どういうことか。
この歌が作られたのは、たしか昭和の初め。
貧しい、だがその貧しい国土の将来に希望と豊かさがある。
だからここ(現状を)乗り越えないと(打破))しないといけない。
貧しい国土、庶民の貧しい生活、こうしたものが背景にある。
そのころの国民は、あるいは政府の号令で、
あるいは一人一人の意志で、こぞって
その坂の上を目指していたのではないか。
坂の上には、きっと素晴らしいもの、豊かなものがある。
きっと、あのチルチルとミチルみたいに。
だが目指した坂の上にたどり着いて、
私たち国民が見たものは、「雲」。
というのが、この小説で司馬先生の示唆。
この長編大作を読み終え、愕然とした。
そのことを今でも、忘れていない。
さて今、私たちは、次の坂の上に何を見ようとしているのか。
いや、私たちは、次の坂に向かって、花も嵐も踏み越えて、といった
果敢な思いを抱いているのだろうか。
先ほどまでの国会でのやりとりを思い出す。
そこに、そのどちらを失った国の有り様、ていたらくを
垣間見た感じがしてならなかった。
経営の限界は、個々企業活動を中心である。
いかなる企業といえども国家を支配することも、
束ねること為すことは許されないことだからだ。
それらを束ね、目的性、方向性を持たせるのは国家。
国に、夢と希望を抱かせるのも国家。
その国の束ねが、このていたらくだ。
上る坂を見いだせないのか。
あるいは上る坂を厭うているのか。
残るは下り坂しかない。
その下り坂を良しとしてもね
その坂の下に、私たちは何を見るのだろう。
国会中継が終わり、チャンネルを回していると、
どこの局からか、映画「愛染かつら」の主題歌、
「旅の夜風」(作詞 西條八十)が流れる。
ふと、考えた。
唄は世につて、唄は世につれ、と言う
「 花も嵐も」とは、何を意味するのか
プラスもマイナスも厭わず、これまでの良かったこと(花)も、
辛いこと(嵐)も打ち捨てて、といったことになろうか。
「乗り越えて」とは、どういうことか。
この歌が作られたのは、たしか昭和の初め。
貧しい、だがその貧しい国土の将来に希望と豊かさがある。
だからここ(現状を)乗り越えないと(打破))しないといけない。
貧しい国土、庶民の貧しい生活、こうしたものが背景にある。
そのころの国民は、あるいは政府の号令で、
あるいは一人一人の意志で、こぞって
その坂の上を目指していたのではないか。
坂の上には、きっと素晴らしいもの、豊かなものがある。
きっと、あのチルチルとミチルみたいに。
だが目指した坂の上にたどり着いて、
私たち国民が見たものは、「雲」。
というのが、この小説で司馬先生の示唆。
この長編大作を読み終え、愕然とした。
そのことを今でも、忘れていない。
さて今、私たちは、次の坂の上に何を見ようとしているのか。
いや、私たちは、次の坂に向かって、花も嵐も踏み越えて、といった
果敢な思いを抱いているのだろうか。
先ほどまでの国会でのやりとりを思い出す。
そこに、そのどちらを失った国の有り様、ていたらくを
垣間見た感じがしてならなかった。
経営の限界は、個々企業活動を中心である。
いかなる企業といえども国家を支配することも、
束ねること為すことは許されないことだからだ。
それらを束ね、目的性、方向性を持たせるのは国家。
国に、夢と希望を抱かせるのも国家。
その国の束ねが、このていたらくだ。
上る坂を見いだせないのか。
あるいは上る坂を厭うているのか。
残るは下り坂しかない。
その下り坂を良しとしてもね
その坂の下に、私たちは何を見るのだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます