経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

痛たくなくとも腹を自ら探れる絶好のチャンス

2005年11月29日 | Weblog
最近、ある経営者の集まりに出た。

 「景気の回復と言うが、それは都会と大企業の話。地方と中小企業はあえいで
いる」と、つい最近まで与党の国会議員までもが、したり顔で、竹中さんを叩いていたセリフを、機を見ると言うよりその都度受けの良い言い回ししか出来ない彼らだが、さすがに最近は一言も言わない。それを中小企業経営者からそっくりそのまま、まだ言っているのである。何にかがおかしいのである。景気がいいと言ったら存在価値と職を失うであろう非力政治家ならいざ知らず、中小企業当事者は言ってはならないことだ。
 言っても良いが、「私は、無能力経営者です」という発言と同意義である恥晒しを覚悟しておいて欲しい。

 ともかく売上好調ならば経営者の手腕、不調になれば不景気、政治の責任といった調子の良さは、人格の軽さの証にもなる。確かに責任を他へ振ると気休めにはなろう。政治家の言葉を真似れば、田舎では名刺気取りも出来よう。
 だが自分の能力抵抗力を増強できる機会を失うことにもなり、結果として自社が虚弱化するからである。それを承知の上でか、と問いたい。

 今、経営者が真剣に考えなさねばならないことは、不況問題云々を論議したり、その対策を講じたりすることではない。
 企業経営者の多くは、実のところ、個々の消費者がどんなものを望んでいるのか、欲しがっているのかといった本来のことより、ひたすら自社内部の帳尻合わせに思考とエネルギーを集中してきた。その間、その分、外部、すなわち消費者への関心が疎かになり、そのため消費者との大きな乖離(かいり)が生じてしまった。これによりこれまで失った、さらに今後も失ない続ける売上(得るべき売上の機会損失)は莫大なものとなる。これは機会損失だから見えないし、定量化できない。だから怖い。何故かいつ致死量になるかわからない上に、自覚症状はほとんどないからである。

 だからこそ「この損失は莫大だ」とトップが、大声で騒ぎ立て、それを一時も早く解決する施策を講じる必要がある、と申し上げたいのである。それを「地方経済、とりわけ我々中小企業は」と、被害者の位置に置き、自社業績不振の責を他に求めている。」
 たとえばリストラにより多くの人材を失い、そのために見えないお客をも失っているはずである。組織にもひずみがでて、多くのお客の不評を買っていることもあろう。最近の日経MJで取り上げていたが、正社員を増強した企業がいきなり売上が急上昇した例は、逆に言えば、いかに売り場、現場の戦力が弱体化しているかの証である。どうしてこれ

 さらに怖いことに、経営トップが我が身保身のために、消費者の命など二の次
といった企業の論理,経営者の論理、組織の都合を優先しているから、従業員の意識や論理も,企業や経営者の方を向いてしまい、消費者への不実の止め男、止め女がいない。つまり企業側に、消費者を向いている者が皆無という状況である。
 ここの状態を車の運転に置き換えて創造あれ。

 なにも最近の企業がらみの犯罪は、姉歯某に始まったわけでは無かろうに。
 企業の諭理による行動、あるいは自己のリスクを転嫁することで、一過性的に
は事態を良き方へ解決したかに見える。だがやがてその決断そのものが、結局は
企業のこれまでの利益と将来の可能性までいっきにだめにし、ひどい場合には企
業生命を絶つている。この事実は繰り返されており、決して露見したから運が悪
かった、という次元の問題でなく、経営者の決断として間違いなく誤りであった
のである。
ここをしっかりと認識しておくことである。

 少なくともこの10年間だけみても、実に多くの経営者が、自企業を死に追い込む意志決定を数多くなし、堆積させていることか。つまり過去の意思決定、それも「先に利を取り、不利益は先送り」の、そのツケが既に出始めたと見るべきである。
 だから肝心なことはこれを極端なケース、一部の特定大企業の間題、として目
をそらしてはならないのである。自社に、自分の意思決定にそうしたことはないか、我が身を振り返っておくことである。
 そして「姉歯某氏よ。ありがとう、これ我が社の千載一遇のチャンス」とみて、この際自ら痛くもない腹を探っておくことだ。
 このことでリスクを未然に防ぎ、しかも今後失うはずであった、大きな売上と
利益を手に入れることができるのであるから。

 

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