経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

的外れで失ったもの

2006年12月15日 | Weblog
                                    
 調べてみるとわかることだが、商店街の衰退と商店主の職住分離が始まった時期は、ほぼ重なっている。さらにその頃から商店はご用聞きや配達をやらなくなっている。

 それぞれ得たものは何か。
 前者では、商店主が、お店以外に居を得た。
 後者では、商店側は楽、あるいは時間を得た。

 では失ったものはなにか。
 これらにより、お客様のこと、とりわけ日常生活がわからなくなった。「わからない」ということは、商売が「わからない」ことを意味する。仕入れや品揃えの「的」がわからないのだから、的外れ当てが起きるのは当然である。的はずれが起きる分、消費者から見たら気に入ったもの、買いたいものがないということだ。

 このことで商店、その集合体である商店街は、おびただしい機会損失を生じさせ、商店街に消費者が背を向けることになった。これはマクロの数字として結果としては、認識できるが、日々には見えない。機会損失の怖いところである。

 それで、今、大変している。
 それでも消費者と会話を交わすことで、ある程度はお客様のことがつかめるのであろうが、その会話が、一方的な接客用語をはき出す自動販売機か自動ドアと大差がない。スーパーのチェッカーと同じ、人間の姿をしたロボットと同じでは、どうしようもない。

 「いやいや、うちはそのため熱心にITをやっているし、問屋さんからも絶えず情報を得ているからね」という人もいよう。

 それは違う。
 それらは後ろから入ってくる間接情報だ。個々のお客さんの情報は、五感で前から入ってくるものなのである。
 そもそもメーカーや問屋さんみたいに、小売店より消費者に遠い人たちに、消費者のことがわかるはずがない。

 手暇を惜しみ、さらに人手を減らし、忙しさを機械化や省力化で補う、といったことは、消費者とは関わりのないところであれば、まだ良し。
 だが肝心な消費者との接点を減らし、自分たちのお客さまとは無関係なところで、情報を得て、無関係な項目で商談をし、当然の結果として、ハズレの多い商いしている。
 それで肝心な消費者が背を向けて、大きな売上げを失ってもともこもなくしている。このことに対応せず店づくり、商店街振興をやってさらに大きな的外れ、大きなムダを生じさせている。

 ではどう対応したらいいのか
 たとえば少ない例でも今も見られるのは、リャカーでの引き売りのおばさんは、物干し台の下で、そこの奥さんと世話話をする。だから、あそこの子供が、今朝おねしょうようの癖で、このお母さんが困っているな、とわかる。相手を知っていることで、相手の喜ぶ対応が可能になる。そうするとお客様が、逆に売り手との接点を求めてくる。これがお店からみたら、「鴨が葱を背負って来店」という行動になる。こうしたお客様が増え、支えられることでお店は大きくなれるである。
 
 遠くから的を射ることは難しい。だが街のお店は、その的に近い位置にいる。この最大の恵まれた条件、得手を活かすことだ。そうした図式、シクミを構築することである。それ以外ない。断定していい。

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