このプログのお客様は、タイトルがタイトルですから、経営に関心の方が多いしそれを目当ての方がほとんどなので、日常の風景の中から、何気ないことを、悪く言えばいえばこじつけて、経営とか商いとか、儲けとか、繁盛するとか、潰れるとか、経営革新とかに、あえて置き換えて書いています。
そのために、「いやらしい」、「人間にはもっと大切なことがある」といった想いをされる方が多いことでしょう。それが正しいのです。その気持ちが大事なのです。それに比べてなんと私の嫌らしいことか。いつも書きながら餌を欲しさに一生懸命尾を振る犬に自分を重ねて、ちょいと辛い思いもしたりしています。
言い訳ではなしに、真意は、金ではなく、金に図れない大きなものを目指すところにあります。これ故事は、愛とか徳、信頼、信頼、、とかになぞえている。
経営の本質は、愛とか徳、信頼、信頼、、といったところにある。それが私の言いたいこと。真意です。そこへ気づいていただくために、あえていやらしい(そうではない、という人も多いかもしれませんが)金、儲けといったことで例示し、このプログに関心を持ってもらい、そして真意に気づいていただけたらという願いと企み「エビでタイ」が、ここにあります。哀しいかな。哀しいかな。
逆に愛とか徳、信頼、信頼、、とかを盛んに唱え、売りにし、億万長者の生活をされている方もいる。結果としてそうなったのかも知れませんが、私はむしろ、愛とか徳、信頼、信頼とか言っていることそのものが欺瞞、大衆への媚びだとおもえ、そうした彼らを露骨に嫌っています。
私のあり方は、コツコツコツコツ、、愛とか徳、信頼、信頼を積み重ねて、その結果豊かな充実した生活を過ごせる、そのプロセスにあります。
持論は、「徳と信頼のはしご掛け」。
経営もそのための道具、ツール。しかし人はその道具たる仕事を通して、人間性を豊にし、生活を充実させていることも否定できない事実です。
ですから、正しい経営は、正しい経営者、正しい経営者は正しい人。また逆に正しい経営を続けることで、人間が磨き上げられ、正しい方へ、ということもあるとおもっています。事実、私はこの仕事を通じて、この私と今がある。育ててもらった自分がある、ここにある。生き証人です。
こうしたことが私のスタンスです。意図していることです。生き甲斐にしている方向です。
ところで、昨日書いた話。私の甥っ子教師の話、褒めているのではありません。むしろ話を聞いたときの想いは小賢しいという思いです。ここではそうした評価なしに、事実として事例として取り上げた。
この娘にも届かない経営者を、哀しく思っている、と言うことを言いたかったでのです。つまり目先だけのソロバンをはじいて人とつきあっている、経営している大人がいるではないか、徳の種まきではなしに得、それも今の損得だけを念頭において、今を過ごしている人が少なくないのでは、と。
これが申し上げたかったことです。
言葉は長いから理解されるものではありません。短いから理解されないということもありません。どう理解されたかが、読み手のその人の心を、どう揺るがしてしまうかが図れない、きわどさと怖さが、書き手には常にあります。
避けられないこの問題は、コツ、こつ、コツ、こつと書き続けることで、「この私」を大まかでもつかんでいただくことで、解消していくしかないかな、と思っています。信頼とは、そうした受け手側自身の納得に委ねられるものかもしれないと、ここは念じる以外にありません。
「私を信頼して」と力説することほど空しいことはありません。ですからコツ、こつ、コツ、こつとささやかでも徳と信頼を積み重ねる生き方をして生きていきます。
そのために、「いやらしい」、「人間にはもっと大切なことがある」といった想いをされる方が多いことでしょう。それが正しいのです。その気持ちが大事なのです。それに比べてなんと私の嫌らしいことか。いつも書きながら餌を欲しさに一生懸命尾を振る犬に自分を重ねて、ちょいと辛い思いもしたりしています。
言い訳ではなしに、真意は、金ではなく、金に図れない大きなものを目指すところにあります。これ故事は、愛とか徳、信頼、信頼、、とかになぞえている。
経営の本質は、愛とか徳、信頼、信頼、、といったところにある。それが私の言いたいこと。真意です。そこへ気づいていただくために、あえていやらしい(そうではない、という人も多いかもしれませんが)金、儲けといったことで例示し、このプログに関心を持ってもらい、そして真意に気づいていただけたらという願いと企み「エビでタイ」が、ここにあります。哀しいかな。哀しいかな。
逆に愛とか徳、信頼、信頼、、とかを盛んに唱え、売りにし、億万長者の生活をされている方もいる。結果としてそうなったのかも知れませんが、私はむしろ、愛とか徳、信頼、信頼とか言っていることそのものが欺瞞、大衆への媚びだとおもえ、そうした彼らを露骨に嫌っています。
私のあり方は、コツコツコツコツ、、愛とか徳、信頼、信頼を積み重ねて、その結果豊かな充実した生活を過ごせる、そのプロセスにあります。
持論は、「徳と信頼のはしご掛け」。
経営もそのための道具、ツール。しかし人はその道具たる仕事を通して、人間性を豊にし、生活を充実させていることも否定できない事実です。
ですから、正しい経営は、正しい経営者、正しい経営者は正しい人。また逆に正しい経営を続けることで、人間が磨き上げられ、正しい方へ、ということもあるとおもっています。事実、私はこの仕事を通じて、この私と今がある。育ててもらった自分がある、ここにある。生き証人です。
こうしたことが私のスタンスです。意図していることです。生き甲斐にしている方向です。
ところで、昨日書いた話。私の甥っ子教師の話、褒めているのではありません。むしろ話を聞いたときの想いは小賢しいという思いです。ここではそうした評価なしに、事実として事例として取り上げた。
この娘にも届かない経営者を、哀しく思っている、と言うことを言いたかったでのです。つまり目先だけのソロバンをはじいて人とつきあっている、経営している大人がいるではないか、徳の種まきではなしに得、それも今の損得だけを念頭において、今を過ごしている人が少なくないのでは、と。
これが申し上げたかったことです。
言葉は長いから理解されるものではありません。短いから理解されないということもありません。どう理解されたかが、読み手のその人の心を、どう揺るがしてしまうかが図れない、きわどさと怖さが、書き手には常にあります。
避けられないこの問題は、コツ、こつ、コツ、こつと書き続けることで、「この私」を大まかでもつかんでいただくことで、解消していくしかないかな、と思っています。信頼とは、そうした受け手側自身の納得に委ねられるものかもしれないと、ここは念じる以外にありません。
「私を信頼して」と力説することほど空しいことはありません。ですからコツ、こつ、コツ、こつとささやかでも徳と信頼を積み重ねる生き方をして生きていきます。
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