ウエイブ・ドクターといった言葉は、すでにあるだろう。パソコン・ドクターという言葉も知っている。そうしたところのHPを見てみると、その内容を知るのに、また一人ドクターが必要になる。
私はワープロが198000円でNECから出される以前から、いわば旧世代のパソコンからの常用者である。会社勤めしていた頃にはオフ・コンを使っていた。
だが、何年経てもまったくこの世界には無知である。TVは見れたらいいのであって修理にくわしくなる必要はない。パソコンも然り。それでいいと思っている根性が災いしているのだと思う。今朝もキーボードが反応しなくなり立ち往生。1時間のロス。その程度なのである。
つまり私程度のユーザーは、通訳か介添人がいなければ、そもそも相談すら出来ない、と気後れしてしまう、だから彼らのサイト画面を見ると、知らない人に、こんなことしらないのか、といったアプローチ画面に驚くことになる。
いわゆる「こまった」というトラブルに煩わしい思いをすることは、日常茶飯事である。それに相談に乗り、解決するドクターにたいして、パソコンに関する百科辞典をマスターしてからお伺いしないと相手の言うことが理解できない。相談できない、というので何のためのあなた方の商売か、と私はイラ立ってしまうのである。
書かれていること。見る人がプロなら分かるが、そうでなかったら分からない。これは遅刻しない人に、遅刻するなと注意し、肝心な遅刻する人は、遅刻していてそこにいない、という状況と同じじゃないか。
彼らは、自分はプロ、だが相談する方は素人、という相互の立場さえ理解できないのか、とそうしたサイトを最初から敬遠してしまう。おびただしい巨大なる機会ロスあふれるマーケット、なんともったいない、というのが、経営指導をしているパソコン無知の私の思いである。
外科医が、カルテにドイツ語を使い、専門用語を使うのはかまわない。だが患者への説明にドイツ語を使われたのでは、どうしようもない。
だが私が知る限り、パソコン、ウエイブ、サイト、IT・・・(私にはこうしたことばの区分が出来ないのだ)、こうした用語、言葉そのものからしてそうなのだが、パソコンなどを仕事や趣味の道具として使っている私たちには、まるで理解できない思想と言語なのだ。
それならそれで、わかりやすいように伝達する、そうしたプロがいても良さそうなのだが、現実は専門、特殊、新語、難解、そうした語をちりばめ自社のご立派さを誇る、といったカタチや人ばかりである。
その典型が、ソフトやハード販売会社の、カスタマサービスとか修理センターといったところだ。そもそも窓口がたくさんあって、そのどれを選んで良いかも分からないものにとっては、ここでシャットされるシクミかな、と思うほどである。電話はつながらない。つながってもたらい回しされる。相手に伝えてもまずは検査漬け、検査の繰り返し。解決の道のりは遠く、それで「解決するかといったら、打率は私の場合3割以下。
これだけユーザーの不満の大きい、そして巨大マーケットは他にあるまい。いくらドクターがいたとしても、ドクターは作り手、売り手のためのドクターであって、ユーザーのドクターではないのである。先に述べたが話す言葉からしてそうでないことは明白だ。
相手が困っていることに対して解決するのが仕事のはずなのに、外科医が胃を切開する目標を立てて仕事しだしたら、どうだろう。今、いやこれからもこの世界は、自分たちの目的を果たすために、この種のサービス分野を目指す人であふれることになろう。
それは、クライアントの問題解決という仕事を仕事にしているものにとっては、まさに有り難いことである。かゆいところに手が届くためには、そのかゆいところをつかむことだ。つかむためには、人による接点が不可欠。そしてかゆくない所へは手をださない、という信頼性がまた不可欠。その信頼性も人との接点が基本にある。
デジタルの世界のトラブルは、デジタルではなく人に依る部分を大きくすること意外にない。手暇がかかること。手暇がかかるから、クライアントがそれに見合うフィーを感激して喜んで払う、というシクミを構築しなければ事業としては成立しない。
ここで、私は自分の自慢をしておきたい。私ぐらいクライアントとして不満が多いものはざらにはいまい。しかもその無知ぶりで、たくさんのソフト会社のコールセンターに手を焼かしている。それが彼らや彼女たちが、私の電話に出たとたん分かる。彼らは私の過去の相談を瞬時に検索し、呼び出し、身構えるからである。それぐらいこの世界には無知である。
彼らはデジタルの専門に強い。だが私は限りなく無知のユーザーなのだ。このすれ違い乖離を私が埋めることは不可能。彼らが埋める以外にないのである。それがこの業界の「ドクター」としての課題になる。
そこに気づいて欲しい。きづく企業が出て欲しい。
そのための労は、消費者の一人、超ベテラン、無知のクライアントとして惜しまない。
大きなマーケットの発展のために、素人、専門の消費者として、そして経営指導を生業(なりわい)にしている私は、役立つ、と自画自賛しているのだが。
ちなみに、朴さんの会社、朴さんの相棒、小崎さんは、こうしたことをやっている、まさに希有な一人だ。http://blog.livedoor.jp/goen151a/
こうした人が主流の企業、業界が、消費者なりクライアントから支えられるのである。そこへ持っていってほしい、かゆくないところを書いてもらうのは、むしろ迷惑、不愉快である。そんな企業は消えて欲しい。それが消費者、クライアントの切望なのである。
私はワープロが198000円でNECから出される以前から、いわば旧世代のパソコンからの常用者である。会社勤めしていた頃にはオフ・コンを使っていた。
だが、何年経てもまったくこの世界には無知である。TVは見れたらいいのであって修理にくわしくなる必要はない。パソコンも然り。それでいいと思っている根性が災いしているのだと思う。今朝もキーボードが反応しなくなり立ち往生。1時間のロス。その程度なのである。
つまり私程度のユーザーは、通訳か介添人がいなければ、そもそも相談すら出来ない、と気後れしてしまう、だから彼らのサイト画面を見ると、知らない人に、こんなことしらないのか、といったアプローチ画面に驚くことになる。
いわゆる「こまった」というトラブルに煩わしい思いをすることは、日常茶飯事である。それに相談に乗り、解決するドクターにたいして、パソコンに関する百科辞典をマスターしてからお伺いしないと相手の言うことが理解できない。相談できない、というので何のためのあなた方の商売か、と私はイラ立ってしまうのである。
書かれていること。見る人がプロなら分かるが、そうでなかったら分からない。これは遅刻しない人に、遅刻するなと注意し、肝心な遅刻する人は、遅刻していてそこにいない、という状況と同じじゃないか。
彼らは、自分はプロ、だが相談する方は素人、という相互の立場さえ理解できないのか、とそうしたサイトを最初から敬遠してしまう。おびただしい巨大なる機会ロスあふれるマーケット、なんともったいない、というのが、経営指導をしているパソコン無知の私の思いである。
外科医が、カルテにドイツ語を使い、専門用語を使うのはかまわない。だが患者への説明にドイツ語を使われたのでは、どうしようもない。
だが私が知る限り、パソコン、ウエイブ、サイト、IT・・・(私にはこうしたことばの区分が出来ないのだ)、こうした用語、言葉そのものからしてそうなのだが、パソコンなどを仕事や趣味の道具として使っている私たちには、まるで理解できない思想と言語なのだ。
それならそれで、わかりやすいように伝達する、そうしたプロがいても良さそうなのだが、現実は専門、特殊、新語、難解、そうした語をちりばめ自社のご立派さを誇る、といったカタチや人ばかりである。
その典型が、ソフトやハード販売会社の、カスタマサービスとか修理センターといったところだ。そもそも窓口がたくさんあって、そのどれを選んで良いかも分からないものにとっては、ここでシャットされるシクミかな、と思うほどである。電話はつながらない。つながってもたらい回しされる。相手に伝えてもまずは検査漬け、検査の繰り返し。解決の道のりは遠く、それで「解決するかといったら、打率は私の場合3割以下。
これだけユーザーの不満の大きい、そして巨大マーケットは他にあるまい。いくらドクターがいたとしても、ドクターは作り手、売り手のためのドクターであって、ユーザーのドクターではないのである。先に述べたが話す言葉からしてそうでないことは明白だ。
相手が困っていることに対して解決するのが仕事のはずなのに、外科医が胃を切開する目標を立てて仕事しだしたら、どうだろう。今、いやこれからもこの世界は、自分たちの目的を果たすために、この種のサービス分野を目指す人であふれることになろう。
それは、クライアントの問題解決という仕事を仕事にしているものにとっては、まさに有り難いことである。かゆいところに手が届くためには、そのかゆいところをつかむことだ。つかむためには、人による接点が不可欠。そしてかゆくない所へは手をださない、という信頼性がまた不可欠。その信頼性も人との接点が基本にある。
デジタルの世界のトラブルは、デジタルではなく人に依る部分を大きくすること意外にない。手暇がかかること。手暇がかかるから、クライアントがそれに見合うフィーを感激して喜んで払う、というシクミを構築しなければ事業としては成立しない。
ここで、私は自分の自慢をしておきたい。私ぐらいクライアントとして不満が多いものはざらにはいまい。しかもその無知ぶりで、たくさんのソフト会社のコールセンターに手を焼かしている。それが彼らや彼女たちが、私の電話に出たとたん分かる。彼らは私の過去の相談を瞬時に検索し、呼び出し、身構えるからである。それぐらいこの世界には無知である。
彼らはデジタルの専門に強い。だが私は限りなく無知のユーザーなのだ。このすれ違い乖離を私が埋めることは不可能。彼らが埋める以外にないのである。それがこの業界の「ドクター」としての課題になる。
そこに気づいて欲しい。きづく企業が出て欲しい。
そのための労は、消費者の一人、超ベテラン、無知のクライアントとして惜しまない。
大きなマーケットの発展のために、素人、専門の消費者として、そして経営指導を生業(なりわい)にしている私は、役立つ、と自画自賛しているのだが。
ちなみに、朴さんの会社、朴さんの相棒、小崎さんは、こうしたことをやっている、まさに希有な一人だ。http://blog.livedoor.jp/goen151a/
こうした人が主流の企業、業界が、消費者なりクライアントから支えられるのである。そこへ持っていってほしい、かゆくないところを書いてもらうのは、むしろ迷惑、不愉快である。そんな企業は消えて欲しい。それが消費者、クライアントの切望なのである。
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