「これだ!」、この要領だ。
これが1つ。
2は、肩を指で押せば、酷く凝っているところ、
そうでないところを分別する。
これで、肩が痛いという野は、正確ではないと言うことだ。
「最近、身体が弱ってね」というのも正確ではない。
「パソコンが壊れた」、というのも正確ではない。
これも以前書いたことだが、パソコンを修理に頼むと、
故障したところを特定せず、丸ごと交換するのがほとんどだ。
これは、患者が頭が悪いと言ったら、頭丸ごと交換というのと同じだ。
クラス全体の理科の成績が悪い、と案じた先生が、
理科の成績委悪い子を良い子と入れ替えるようなものだ。
雷で停電になったから、すべての配線を取り替えることはない。
どこが、と特定すればいい。
特定できたと言うことは、個々が肝心なことなのだが、
「それ以外は、大丈夫で、悪いところはほんの一部」と、
強く認識することである。
私たちは、多数決とか、ABCの原則と言うことを学び、
それを知っているにもかかわらず、部分を取り上げて、
全体を「悪い」といったような表現をとることに、
なんのおかしさも感じない。
キリスト教徒でもない人が、13日の金曜に、
眉をひそめることはない。
4を嫌う日本人が、4葉のクローバーを探して、
見つけると喜ぶ。同じ人が、下足箱の4は嫌う。
私は下足箱も、飛行機の座席も4を狙う。
空いている確率が多いからだ。
脱線。脱線。元に戻す。
だが、それで留め置く。ここが肝心。
特定するだけでよい。
大部分の社員は、遅刻していないのに。
全体朝礼で、叱り、全員の意識を低下させる。
そうした馬鹿なこと、愚をやってはならない。
100人中1人の遅刻のために、
100人の生産性を5%落とす愚より
99人の生産性を1%上げる方が、遙かに得策なのだ。
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