経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

どっちち

2009年04月22日 | Weblog
本は古典に限る。ベストセラーなど関心がない。
とある会で、ぶった人がいた。

「田上さんは古典派ですか。それとも・・・」
懇親会になって、流行のスーツで着飾ったその人に声かけられた。


残った、ということは凄いことだと思う。
紀元前何千年前の話が、今遺っているということは、
遺らないで消えていった夥しい事柄を考えれば、
1に、その気が遠くなるぐらいの年月の中に生きてきた
人々の意思が遺すに働いたという事実、

2に、その中身、含蓄といったものが風雪に霞むことのない
普遍性を持っているかといった意味でかけがえない重さ、価値を感じる。
これを本でいうと古典だ。

ベストセラーなど読まない、と決めつける人がいる。
上に触れた歴史、時間を経て、といった重みと価値を考えると、
そのときだけに流行、やがて泡沫化する大衆ものなど、
短い人生、忙しいのに読んでおれるか、ということだろう。


広がると、いうことは凄いことだと思う。
この今、たくさんの選択肢がある中で、ある1冊の本が、世界的に
いや日本の中でも良い。
一番売れたと言うことは、歴史の時間軸、縦ではなく、
いわゆる人種を越えて、国を超えて、宗教を超えて、年齢を超えて、
性別を超えて好まれたという横の普遍性重さ、価値があるといえるのである。


縦と横の2つの存在で世の中かが存在している絶対哲理を考えると、
縦と横を択一する考え、論議がいかに愚かなことか自明の理である。

男と女、両者が存在しないとこの世は存在しない。
自分の存在も、この両性の存在を前提にしている。なのに、
なにを無邪気なことを宣わくのか、と思う。

古典も読み、今年のベストセラーも読む。
クラシック映画も、アカデミー受賞映画も見る。
むろんどちらかに比重をかけるということはある。当然だ。

熱い風呂には、水。ぬるい風呂には、熱いお湯だ。

だが、流行の服を追い、古典オンリーの紳士に答えたのは、
前後いきさつ省略。一言。

「時には古典、時にはマンガも流行本も読んでいますが。」


択一するという概念が存在するのは、
択一できないものの存在がある、ということだ。
この区分が出来ず一方を問い、決めつけ、択一を他者に求める、
そのスタイルそのものが、その人物の偏りとしかわたしには見えない。

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