経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

三葉虫にインタビュウーしてみたら。

2007年07月16日 | Weblog
小、必ずしも弱者とは限らない。
マクロでの正解が、ミクロすべてに通用するとも限らない。たった一人(ミクロ)の意見が、マクロ(世界)の代弁、ということは稀有である。

不況になれば、マスコミは判で押したように中小企業の危機を指摘する。
景気が戻っても、それは都市部、大手だけと、まるで「決」を採り、満場一致の挙手を得ているかのような言い回しをする。

 
永田町では、己の信念に関わらず、目ざとく、耳ざとく、大衆受けすることをかぎ取り、それを大声で叫ぶことで、浮かび上がりたい政治家だらけ。

だが、そうしたマスコミや永田町住民ならともかく、中小企業経営者自身が、小さいことが悪いこと。被害者であること。地方は都市に劣る、といったことを、眉間にしわを寄せて言うのは、どういうことであろうか。

目も耳も鼻も口も、脳も手足も、それぞれ人、一人一人に専用でついている。それらが、人それぞれについておらず役場かどこかに、地区ごとに付いている、とか選挙区ごとの代議士に、とりまとめて付いている、といったことでは、絶対無いのである。

このことが意味することは、人それぞれ、考えが異なる。企業それぞれあり方が異なっても当然、同じことが異様、というきわめて重要なことなのだ。

それぞれ異なる、という前提に、共通するもの(普遍性)があるという認識も出来るのである。

その普遍性の面から、大の低迷と、本来は小、という少々荒っぽい仮説を、おっている。以下、その一部。

前回の不況は大企業、大きくなり過ぎのもの持つ、構造的体質に起因するものと、私は解している。

それは、それぞれのものに、それぞれの器というか、適正規模がある、という考えを前提にしている。その器を超えたことでさまざまな問題が起きて、不振を招く。
それが恐竜の場合は、その巨体であり、三葉虫の場合は、その増殖とみて、前者に巨大店舗化、巨大SC化、後者に多店舗展開を入れてみたら、どうだろう。

こうした仮説から見ると、これからの中小企業、零細店にとってはの、ありかたが見えてくるのではないか。

まずは、他社、他店、ましてや大手と比較しないことだ。
考えてみれは、赤ん坊の頃から、母子手帳に比較され育てられ、幼稚園にでも入れば他の子供と比較され、小学以降は、他者と比較し、競うことで、自らの競争心をあおり成長してきた。他のものに自分の成長を合わせてきて育てられ、育ってきた。
そうした在り方による弊害やトラブルがあったとしても、そうした成長のあり方に、取り立てて疑問を感じては来なかった。

疑問を感じなかったからといって、それが必ずしも本来である、ということにはならない。また本来が違うものであるとしても、そうした成長のあり方を、捨てるという理由にはならなかった。

恐らく恐竜や三葉虫を、今ここに招き、それぞれ敗退の理由をインタビューしたとしたら、そうした「敗戦の弁」が出るのかも知れない。

だが悲しいかな。中にいるものは、外から見える自分がわからない。時間軸の重なりに生きているがゆえに、それが過去にならない限り、自分のあり方を客観視できない。
だから、たいてい、そうしたことに気づいて、悔やみ、敗戦の弁を語る時は、後の祭りなるのだ。

ここに常に、とは書かず「たいていは」と書いた。
それは、恐竜や三葉虫から、学び、今の己のあり方を糺し、本来の生き方を進む者の存在、一握りであろうと、そうした人たちがいることに確信を持っているからである。

これからの時代は、そうした人たちを中心とした時代になる、と、私は楽しみに、その論拠を固めるために、旅を続けている。


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