経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

あんばいといい加減

2011年03月25日 | Weblog
(1) デザインは、その価値観に一定の共感が
得られなければ、成り立たないが、
すべての人に価値観が共有されるとしたら、
これまた成立、存在しえない。

われながら、わかりにくい。


それで、これを別の角度からいうと、
デザインには、一定の普遍性が求められるが、
そのウエイトが高くなると、デザインとしての存在感を減じる、
といったことになろうか。

つまり、デザイアーから発せられる自己主張を、
そのまま形化としても、それが他者に受け入れられなければ
デザインといえないのではないか、ということ。

とはいっても

だからといって他者のデザイアー、主張を
全面的に受け入れて、はたしてそれがデザイン、
といえるかどうか、といった論議になる。


こうした論議を、私なりに整理し、結論してみると、
自我と他人の我に共通する価値観が、
大なり小なりの論議の末、合成された価値観、
いわば一種の妥協の産物がデザインである、といったことになる。

それは、純粋、ストレートに自我を貫いたデザインが、
他者から認識されないことを意味する。


価値観の相違があるが故にデザインが存在する。
しかし、自分以外の万人が、認めない価値観によって、
創生されるデザインは存立し得ない。
ここで、自我と受け入れてしかるべき他者のそれとの
配分が、問題になる。

どの程度の割合で、他者の意見を取り入れれば、
その妥協の産物が、デザインといえるのかどうか。

ここだ。このことを長く考え続けてきた。

ごく最近になってわかってきた。
否、わかってきたかどうかはわからないが、
これもまた妥協の産物的答えでいいのではないか、
ということが、わかったということだ。

それは、
「いいあんばい」の「あんばい」(塩梅・按排・按配)と、
「いいかげん」。これは「好い加減」ではなく「良い加減」



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