経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ない、ない、ない

2012年04月12日 | Weblog
日常の中に、普遍性を見つけ、

これに法則性があるかどうかを検証する。



日常性、いわゆる恙(つつが)なく、

といったことを視点におき、それ以外を特殊性として、

あるいは異常性として、



「おかしいぞ。なんでやろ?」



と考え、仮説を立て、検証を繰り返す。



これは野原一面の雑草を、植物図鑑で一つずつ検証していくと、

その実、雑草なんてほとんどないことに気が付く。



なんてことはない。

自分が名前を知らなかったにすぎない。

調べるのが面倒で、雑草と総称しているだけ。

簿記の諸口も、科目の雑費もそう。



雑草なんてない。諸口などない。雑費もない。

その他大勢もない。みんなもない。お客様もいない。



「みんなが、そのことに反対しています」

といった、以前書いた恩田 杢、上杉鷹山の話と同じ。



特殊性、異常性といっても自分が単に経験がない、

知らなかったにすぎず世間では当たり前のこと、

といったことは結構あるものです。



このように、自分の頭の中から、

「おやっ?」と思ったことを、自分なりに検証し、

それを解消し、排除する。



こうした消去手法で、私はこれまで仕事をしてきました。

少し極端な言い方ですが、日常の中の特殊性こそ、

物事のネックになっている、という考えです。



少なくとも、私は仕事、あるいは政治、経済

を見る、考えるときは、そうした視点で人やコトやモノを見る。



たとえば、

政治という舞台は、特殊な場なのでしょうか。

国と国民の発展と幸せを考え、行政をするということは

特殊なことなのでしょうか。



永田町、霞ヶ関を舞台に、

ここの俳優たちは非日常性の衣装をまとい、

日常会話にはほど遠い言い回し、中学生でも読める漢字を間違い

TV向かって見得を切る。国民の見えない夜は、

時には昼間で料亭やホテルで会食をする。



それでいながら、選挙費一切は、国民に負担させている。

こうしたことは、日常性か、庶民性か、非日常的か。特殊性か。

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