経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

デフレのさきに見えるもの

2006年04月25日 | Weblog
需要を供給が上回ることで伸びてきた経済が、同じ理由でデフレーを引き起こた。今、ようやくデフテ基調から脱却の兆しが、と報道されていますが、デフレ構造そのものは、全く変わっていないことを見落としてはなりません。

ものを作り始めた頃は、自分が必要なだけ創っていました。少し進んでも、自分の販売量だけを製造していたに違いないのです。しかし、もっとよけいに売りたいという欲は誰にもありますし、よけい売ることで単価を下がればお客に喜んでもらおうという優しい気持ちもあったことだろうとおもいます。

そういう意欲が機械を生み、その発展を押し上げていった。そのたびに生産性は上がり、効率化が進み、製造能力が増す。作れば作るほど効率がよくなり、作ったモノは完売するるのですから、自分の販売能力を越す商品を製造することを、「魔がさした」などとは言えません。自分で売る数量を上回る分は、他に卸せばいいわけです。こうして卸という新しい仕事を生業とする人が増えました。自分も売り上げが上がり、投資した機械代はたちまち返せる。卸屋さんが増えれば、大型機械に買い換える。機械屋が儲かる。鉄が経済を押しあげ、カーネギーだけではなく製鉄所。それを焼く石炭産業が、経済をリードしてきました。

 こうして皆が必然的に需要に応じて生産するという概念を拡大していって、見込み生産が主流となっていったことだろうと思います。

 ところが、製造した数と卸す数が一致するという最高の効率レベルに達したとしても、卸した数と小売店で実際に販売された数とは、まず一致することは奇跡的確率になります。どんなに厳密に計画を立てていても、買う人は、作り手ではないし、卸屋さんでもない。小売店でもない。どこかのだれか知らない不特定多数の人たちです。

 そこでたいていは卸した数量が小売店での販売数を上回り、その差が返品や廃棄されることになります。あのコンビニの残った弁当はどこへ行ったか、と考えれば、このことがイメージできるのと思います。

 逆に販売数が卸し数を上回ることが明らかになれば、これ増産のチャンスとみて工場はさらに製造能力の大きい機械を導入し増産するにちがいないです。ですから仮需である製造数は、実需である小売販売数を、常に上回ることになりましょう。たしかに「見込み」は需要を押し上げる役割を果たしたことは事実ですが、反面、「見込み違い」というリスクも大きくしていったと考えてみてください。

 こうした繰り返しで大きく成長したメーカーもあり、消えていったメーカーもあるわけです。そう考えると受注生産オンリーでは、大きくなれなかったことは間違いがありません。規模の利益(メリット)は、機械化が進んだ装置産業ほどで出ますから、少しでも大きくしたい。機械も次々より効率的なものが出てきます。だれしも流行には「乗り遅れ」たくはありません。

 これが、私がイメージしている、画一化・効率化を生み、発展させてきた土壌と過程です。そしてまたそのことが、デフレを生み、進行させてきた理由でもあるわけです。

 この構造自体は、変わらない。変わっていないどころかますます進んでいく。ここにデフレ脱却の困難性があるわけです。輸出を止めたらいい。オール計画生産にしたらいい。いずれも暴論です。こうした暴論も含めて、いろいろな方法があると思います。でも口ではいくらでも言えても、不特定多数の人々の心の動きを制御することは出来ません。またやってはならないことです。
 では、どうしたらいい。あるのです。表では言えないこだけで、だれでも知っていること。

 哀しいかな。過去の歴史は、本能的にデフレ対策を見つけて、無意識的か、意識的か、過去幾度もなく繰り返している。  それは「戦争」です。

 デフレの、さきの先の将来(さき)には、戦争が見えてくる。原油価格の高騰、それも一過性ではない。そのさきにみえるもの。それが一番木々していることです。
 関連は、ブログ「奔るジャッドンタノウエ 追っかけ帳」に記しています。合わせてご一笑ください。

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