経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

聴くということ

2007年01月24日 | Weblog
聞くではなく、聴くことでもう一つ、申し添えておきたいことがある。

相手の口は、開かせるものであって、これを閉じさせるものではない、ということ。これをリーダーは心しておく必要がある。こちらがしゃべると、その間こちらは聞けない。相手は聞く方に廻らねばならず、その間、口を閉じる。
 
 これでは、そもそも情報が入らなくなる。食べ物をとらず、出す方ばかりでは、出るものも出なくなるし、燃料が入らないから体力を失う。これと同じこと。組織内外からの情報が入らず、経営者は孤立する。談合大手ゼネコン会社の某社長みたいに、「私は知らない事だ」といった事態になる。

 上に述べた聴く効用について、二つに分けて、詳細に述べてみたい。

 1に、聴くことで、組織が活性化することである。 
人の話を聴くことで、その人がやる気があるかどうか掴む。そしてやる気がないのであれば、それはなぜか、その原因をつかみ出した上で、やる気のない根元を解決し、やる気が沸き立つようにもってゆく。こうした個別対応が出来る。このことは大きい。
 
 もちろん、理由には共通性と個々人の固有のものがある。この2つで構成されている。
 そこでまず、普遍性で把握し、次に各人それぞれの特殊、固有の方も掴んで、個別に対応する。これでなくては対応とはいえない。朝礼で訓示できることは、前者。これで済ましているようでは、組織の弱体化は避けられない。リーダー失格だ、ということになる。

 次に、聴くことで、情報がたくさん集まり、しかも確度が高くなる、ということである。 
 多くの人のしゃべるのを聴くことで、たくさんの情報(材料)が集まる。また関係者一同がもっている環境や条件、抱えている課題なども把握することができる。こうしたことで、みんなを取り巻く繋がりなど全貌がわかってくる。自分一人だけでは、自分が接触し得た材料だけしかもっていないのだから、とうてい全貌とはいえない。全貌を掴まず、部分的なものを全貌と解し、判断するのでは、公平さを欠くし、偏り、歪みが出る。これでは判断の結果は押して知るべし、と言ってよい。
 
 自分が何でも知っている。掴んでいるということは、自分の見ただけのものが全貌、そして正しいと錯覚、思い違いしているだけの話である。
それだけではない。聞く耳を持たぬ人には、人がもの言わなくなる。ものを言うために、人は人に近寄らなければならないわけだから、そういう人には人が近づかなくなる。だから、ますます自分の見る、知る情報の範囲と数が小さくなってしまう。

 だから、どうしてもみんなの話をじっと聴いて全貌をつかみ、みんなをやる気にさせる手だてをその中からつかみ出さす、ということを基本姿勢として確立しなければならない。これができなければ真のリーダーとはいえない。

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