経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

彼女のパンツ

2011年03月15日 | Weblog
(8)遊びと仕事の区分はない。
制約、縛り、抵抗、規制、ルール、約束事、タガ
そうしたものがないと、遊びも仕事も成立しない。
そのことは触れた。

では、遊びと仕事の区分はあるのか、ないのか。
私の結論は、「ない」。

あるとしたら、あるいはあるように思えるのは、
制約、縛り、抵抗、規制、ルール、約束事、タガ
の違いか、もしくはそれらをどう受け取るかの違い。

それで、もう20数年前のことだが試してみることにした。
思い込むのだ。これまで仕事と思っていたことを、遊びと。
思い込むのだ。これまで遊びと思っていたことを、仕事と。
常に意識し、自分に言い聞かせて。

これはうまくいかないことにすぐ気がつきやめた。


仕事と遊びと分けようと、遊びと仕事と分けようと、
遊びが楽しく、仕事が苦しい、といったサラリーマン時代の
刷り込みが消えるものではない。
それどころか、区分を意識することで、
さらに刷り込みを強化していることに気がついたからだ。

それに仕事も遊びも。
制約、縛り、抵抗、規制、ルール、約束事、タガ
こうしたものがあるのには、変わりがない。

変わりがないのに、違いがあるのはなぜか。


これはもう、答えは一つしかない。
自分が、つらい、おもしろくない、やりたくない、
といった風呂敷をかぶせたら、そのことは
つらいこと。おもしろくないこと。やりたくないこと。

自分が、楽しい、おもしろい、やりたい、
といった風呂敷をかぶせたら、そのことは
楽しいこと、おもしろいこと、やりたいこと。

すなわち「こと」に問題があるのではなく、
「自分の選択」に問題ありなのだ。
自分ではなく「選択」に問題ありなのだ。

その状態を、それよかれと判断し、その「こと」に
2つの風呂敷の内、1つをかぶせたのは、
自分であって、世間でも、隣のおっさんでも、妻でも
会社でも、ゲームでも、友人でも、医者でも、坊主でも
みのもんたでも、ない。けしてない。

としたら、どちらの風呂敷が良いとか悪いことでもない。
2枚あること良いこととし、その選択を自分で意識してやればいい。
これは自分のパンツを自分で洗濯した独身時代と
おなじこと。彼女のパンツを洗濯する気分でルンルンと。