常に「利用者の身になって考える」
というのが、本来の経営判断である。
それをいつの間にか、も内部の都合を充足するために
内から外を見る習慣で。脳の回線が、
そうなってしまったということだ。
内から外を見る限り、外からの自分、自企業は全く見えない。
繰り返す。
上空か、外からしか自分の全容は見えないのだ。
だから、自分の身を外におく。上空、つまり俯瞰的に見る
この2つが自然に行える脳の回線を再構築することになる。
事業というのはお客様に合わせて、
喜んでいただくことをなし、喜んでいただく、
そのお駄賃として糧を得て、生き続ける。
これが事業の本質だ。
それを円滑に行うために、マネジメント担当として経営者が、
そしてその思いを実践実行するものとして「組織」がある。
これが経営である。
だから売上不振、経営不振といったことがあったとしたら
1-お客様に合わせていないか
2-喜んでいただいていないか
この2点を疑い、内部を糺して見ることだ。
これをなすことで、経営者はお駄賃として糧を得て
生きることができるのである。
上の2つをなすには、経営者が、仕事ではなく、
1に、日常という生活空間で過ごし、体感すること。
2にそこで消費者の時間を増やすこと
で、身をもって身につける以外にない
ただ、生まれたときから経営をやっているわけではないので、
まず内から外に出る。
そして事業を営む以前の日常空間に身をおき、
以前の消費者としての脳力開発の回線に修復する。
それが無意識にできるよう、意識してやる。
それを時間と金かけて、売上がたりない、利益が出ない。高コストだ、
と、内にいて内向きのことを考え、発案し、それらを組織に
いけ、いけどんどん、とやっている。
それは的外れだから、あたることは希有である。
当たったところは、命を落とし今は生きていない。
幸い外れる確率が高いから、多くの企業は救われ、
ここまで死なずにすんでいる。
こうした片面思考、片輪の経営でここまでやってこれたのは、
実に幸運に恵まれている証といえる。
だから、本来の正道、すなわち消費者の側面を加え、
両面思考、両輪経営をやったら、どれだけ大きく伸びるか。
と、私は胸をわくわくしているのである。
というのが、本来の経営判断である。
それをいつの間にか、も内部の都合を充足するために
内から外を見る習慣で。脳の回線が、
そうなってしまったということだ。
内から外を見る限り、外からの自分、自企業は全く見えない。
繰り返す。
上空か、外からしか自分の全容は見えないのだ。
だから、自分の身を外におく。上空、つまり俯瞰的に見る
この2つが自然に行える脳の回線を再構築することになる。
事業というのはお客様に合わせて、
喜んでいただくことをなし、喜んでいただく、
そのお駄賃として糧を得て、生き続ける。
これが事業の本質だ。
それを円滑に行うために、マネジメント担当として経営者が、
そしてその思いを実践実行するものとして「組織」がある。
これが経営である。
だから売上不振、経営不振といったことがあったとしたら
1-お客様に合わせていないか
2-喜んでいただいていないか
この2点を疑い、内部を糺して見ることだ。
これをなすことで、経営者はお駄賃として糧を得て
生きることができるのである。
上の2つをなすには、経営者が、仕事ではなく、
1に、日常という生活空間で過ごし、体感すること。
2にそこで消費者の時間を増やすこと
で、身をもって身につける以外にない
ただ、生まれたときから経営をやっているわけではないので、
まず内から外に出る。
そして事業を営む以前の日常空間に身をおき、
以前の消費者としての脳力開発の回線に修復する。
それが無意識にできるよう、意識してやる。
それを時間と金かけて、売上がたりない、利益が出ない。高コストだ、
と、内にいて内向きのことを考え、発案し、それらを組織に
いけ、いけどんどん、とやっている。
それは的外れだから、あたることは希有である。
当たったところは、命を落とし今は生きていない。
幸い外れる確率が高いから、多くの企業は救われ、
ここまで死なずにすんでいる。
こうした片面思考、片輪の経営でここまでやってこれたのは、
実に幸運に恵まれている証といえる。
だから、本来の正道、すなわち消費者の側面を加え、
両面思考、両輪経営をやったら、どれだけ大きく伸びるか。
と、私は胸をわくわくしているのである。