経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

情報の怖さ

2010年09月24日 | Weblog
100対100、10000対10000、100000000対100000000

皆、 ヒフティ対ヒフティである。


2対1。

それを「50%の人が賛成」とすれば、地球上の人間の半分が賛成
となるではないか。

賛成側から見れば、2人の内1人が賛成すれば、
「50%,半分もの人がが賛成しているぞ」
反対者から見れば、2人の内1人が反対すれば、
「50%,半分もの人が賛成しているぞ」


賛成側から見れば、1万人の内5千人が賛成すれば、
「50%,半分もの人がが賛成しているぞ」
反対者から見れば、1万人の内5千人が反対すれば、
「50%,半分もの人がが賛成しているぞ」


これを賛成者側も反対者側も,エクセルで、
棒グラフ、円グラフで、自分お立場の方に目立つ色を付けて、
パワーポイントに貼り付けて,プレゼンテーション。


あの名ドラマ「北の国から」、、たしか"98だった、
父の死後、バブルを追い風に、
牧場の規模拡大に勤しむ北村草太のやり方に対して、
黒板五郎が、「2分の1も、200分の100も同じことじゃねえか」

と、痛烈に批判するシーンがあるが、まさにそのことである。


極端な例を取ったが、こうしたところに
情報のもつ怖さ(それは情報自体ではなく、
情報を使う人の問題だが)が、存在している。
このことを,常に念頭に置いておくことが肝要と考える。

こうしたことは一人であろうと組織であろうと,
また極端な場合は犯罪の形として、見られるのはけして珍しくない。
こうしたことが1人での仕事の怖さ、危なさにはある。

意識しようがしまいが一人の場合、そこ恣意性が理由ではなく、
情報の少なさ、偏り等による判断ミス、あるいはその人の持つ個性等
により、いわゆる独りよがりが原因というのが通常である。

しかもまた、その一人あるいは数人で、恣意性をもって、
組織(社会も含む)に介入する、といった事例は少なくはない。

その典型的な例が、「みんなが言っている」の類である。
米沢藩の上杉鷹山、信州・松代藩の家老 恩田杢のエピソード
にあるように・・・・・