経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

私、唸っています。

2010年08月06日 | Weblog
今、唸っている。

あれから唸り続けている。





毎晩DVDで映画を観る。

学ぼう、教わろうといった目的性、意気込みなど、

そうしたことをもって映画を観ることなど、もとよりない。



数日前、たまたま荻上直子監督の映画「かもめ食堂」を観た。



見終えて様々なことを思った。

それでまだ唸っている。





舞台はフインランドのある港町にオープンした、

中年の日本人女性が経営する食堂。



様々なことを思った。

とりわけ「時間」のこと。



これはこの監督の次の作品「めがめ」にも共通したテーマだが、

こちら「かもめ食堂」の方が、フインランドという国の

時間が背景になっている分、日本人が感じ、過ごす時間、

それに、その映画を観ている日本時間に馴らされた私の時間。

この3つの時間の違いが、くっきり浮き彫りにされている。



この監督の作品に共通するのは、映画に特別な出来事、

たとえば事件がおきることもなくともなく、

大仰に泣いたりわめいたり、深刻に人生を語る、

といったことがない、非「非日常性」、日常性にある。



物語の主人公の日常の生活が淡々と映し出される。

それだけだ、だから静止画を見ている錯覚感を覚える。



だがやはりそれは錯覚。ここでも時間は流れていた。



3つの時間を背景に、3つの時間が流れる。

流れるのだから、起点があり終点がある。



時間は経ているのだが、あまりにも日常性が高いせいか、

この物語の時間はまるで止まったままのように感じる。



それでいて・・・・。



その経過のなかで、開店してしばらくの間、

まったくお客が来ないかもめ食堂が、

この映画が終わる時には、連日、万席状態になっている。





ここで始めて見るものはフインランドの時間も

流れていることを知ることになる。



日本人であれば、その間の経営者の涙ぐましい努力、工夫、

そうしたものを想定するのだが、

ここフインランドの「かもめ食堂」では、そうではない。





たくまず自然な時間の流れの中で、

いつのまにか、気が付いたら万席状態。



では、偶然か。違う。断じてそうではない。



それがなにか。ここには記さない。

ネタベレの恐れもあるが、それよりも

それぞれ自分で感じ、気づくものが、その「何か」

であり、当然それは異なっても良いと思うから。



私の想いとしては、

この映画の、そこに私が生き方としてのあこがれ、

経営のあり方としての理想があった、ということだ。



ということで、まだ唸っている。