経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

めでたし、めでたし

2010年07月21日 | Weblog
日本全体の景気といったマクロ、全体的様相に関し、
「不景気で大変だ、大変だ」と自分のところで全体を背負って
自分のことだけを考えて、対応してもその状況からの脱皮は図れない。

ここは「消費者はさぞ大変であろう」と思うといった
消費者との五感の共有があってこそ、
消費者の支持、喝采を得る対応が図れると考える。

つまり消費者、それも手近のお客観の「大変」を
解決するためには、私たちは具体的にどう動いたらいいのか、
何を成すべきなのか、といったこと。
もっと卑近にお客が得になることを考えやればいいである。

それを「この不況、我が社の危機、その起死回生は・・・」
と我が社、自分を中心に置いて、自分を主語にアプローチする。
だから、どうしても自分が得することになる。
自社の得を考えても、消費者が支持する形にはならない。


買上=売上の等式は、
買う人がいての買い上げ、その結果の売上である。

舟木一夫を主演に1964年に東映が作った映画に、
「君たちがいて僕がいた」というのがある。

まさに企業の存在認識も、消費者がいて自社があるのである。

買上=売上 この等式が成立することを条件として、
契約が成立。モノとお金が交換されるという形で動くのである。

ならばこの動きを活発化することが、売上拡大のための要諦になる。

例えば、
中心街では突然の雨。しかし郊外は晴という状況を考えみる。
こうしたとき中心街では傘を店頭に出すと売れる。
消費者の中で傘を一本も持っていない。
それで行列してでも傘を手に入れたい、といった今時皆無であろう。
にもかかわらず売れる。

結果から見たら店の売上は、ものである傘から得た物である。
だかお客は、ぬれる惨めさから免れるために買ったに違いないのである。
一方、晴れている郊外店では出す必要はないし、出しても売れない。

それはなぜか。大きく理由は2つある。
1に、売る人と買う人に、雨が降っているという共通認識がある。
だから傘という商品が動くということ。
つまり、売る人と買う人の立場・心が一緒になった時に
初めて等式が成り立ち、売る努力とは無関係に買ってもらえるわけである。

2,買った物、売れた物はハードとしてはモノとして、
そして結果的に見えるものとしての傘だが、
ソフト的には困っている事を解決し、喜んでいただく、
という売り手の思いという見えないものが、結果がでる前先に
存在しているといった事実である。

この2つがあって、ハード的には、モノが売り手から買い手に、
金が買い手から売り手に動くことになる。

そしてソフト的には、
買い手の「困ったところを解決して貰った。ありがとう」
売り手の「お客様にお金を頂いた上に御礼まで」

めでたし、めでたし。