経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

大公 望の大望

2010年07月15日 | Weblog
「戦略」に関しての最終稿である。


そもそも戦略が現場隅々まで周知徹底されない状態では、
適切な戦術が出てくるわけがない。

戦術は、あくまで戦略にもとづくもの
という絶対要件があるからだ。

だから出てこない。出てきたとしても
本人達はその時には気が付くまいが、どこからか持ってきた借り物。
原因に対しての策にはならないトンチンカンなものだ。

繰り返すが本来、戦略なき組織というのはあり得ない。
そして戦略がないところに戦術も存在しない。

ところで、釣りをして魚ではなく国をつり上げたという話から、
釣り好きの人を大公望というのは次のような中国の故事から来ている。

彼、望は子供の頃、父母を殺され 国を滅ぼされ
敵の追求を逃れ3人の孤児ともども逃げだす。
その時彼らは、自分たちの国を創ると誓い合う。
凄い大望だ。

国の創ることを戦略としてもち、20数年後には国を作った。
これが大公 「望」の話である。すごい。

彼は、大望をもち、仲間3人と戦略を持ち続け、
その戦略を共有する人数をじわじわ広げて、氏の数が国を為す。
なんと大望。なんと凄い大望。

[大望」とは文字通り、大きな望み。遠大な志のこと。
戦略は心の広さと関係すると考える。大きな望み。
遠大な志を具現するには大きな心が不可欠と考えているからである。

大きな心とは、たとえば「ここは勝ちと功を相手に譲り戦略を得る」
といった度量のことを意味する。

否、大望をもち、その具現のため戦略を講ずるものは、
他人から見たら度量があるように見える、ということかも知れない。

対大望を持てる者は、
いや大望を持っているからこそ臥薪嘗胆を厭わない。
一回一回の勝ち負けで一喜一憂しない。
人に勝ちを譲って、それを撒き餌に戦略の具現を計る。

こうしたことができる。
要は、性格が短気だとか気が長いではなく、
大望があるかないか、戦略を持っているかどうか、である。


以上3回ほどにわって、戦略について申し上げてきた。
最後に次の4点に要約しておきたい。

1に、戦略は、それを為すと行動が不可欠であること。
2に、戦略があっての戦術であること。戦略なき戦術は無意味。
3に、戦略はそれが共有された員数で組織力となること。
4に、戦略の前提として「大望」があり、それが大きいほど戦略が生きる。



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