経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ほどけの時代

2010年05月04日 | Weblog
皆同じ種を蒔いて、一斉に刈り入れ。
効率的、能率的である。その点はまことに結構。

効率的、能率的の延長線は画一化。画一化に関連する言葉をひらう。
あるは、あるは。
護送軍団、横並び,先進地事例,先進地視察、成功事例、
生産性、効率、能率、均一、画一、コスト削減、制服、ファッション・・・。
これらみな、みな同じものを蒔いてきた延長線上のキーワードである。

こうして全国似たような街、商店、品揃えとなる。
だから価格競争は激化、どんどん価格は下がる。
下がった価格分をカバーできる販売量の確保が難しくなる。
巷は同じ商品だらけにある。
だから、いろいろ取りそろえたい消費者ニーズを充足できない。

これが消費低迷の理由ともなる。

 
人の下す選択もまた同様。
選択されているものの中から、あるいは既存の選択の中からさらに選択。
その選択を寄せ集めた既存の選択肢をいくつか並べ、それを選択。
その選択の基準は、いわゆる「無難」。
皆が無難な選択をすると、行き着くところみな同じ結果を生む。

ならばさきに標準、平準化したものを示し、
それに倣えといったことになる。

標準、平準を上回っても下回っても、
はみ出しもの、異端者、変わり者として刎ねる風潮が
社会に定着してくる。



流行の中に全員が投じると、流行そのものがわからない。
流行の中に全員が投じると、流行の恩恵が消える。
流行を追い続ける、個性、アイデンティティを失う。
 
流行の中にいる者はその外にいる者を遅れと嗤う。
が、その嗤う者もその中にとどまってはおられない。
次の新しい流行の中に入らないと今度は嗤われることになるからだ。

皮肉なことだか、こうした人たちは流行を追うことで、
自分の個性を殺していることになる。


全員経営とは全員各自が異なる、という前提上に成り立つ。
会議などでの「意見を求める」といったことは、
皆区々異見を持っているという前提上に成り立つ。
なのに組織は、異見を排除し、金太郎飴を目指す傾向がある。

こうしたことを続けてきた。
その結果のツケ、反動、いわばばらけ、ほどけといった現象が
今、始まっているというのが私の実感である。