経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

天を物差しにした男

2009年10月29日 | Weblog
人それぞれ物差しが異なる。
共通語がなく言語が皆違うのでは、コミュニケーション取りづらい。
普遍的な物差しがなくては、人も物も計れない。

その普遍的な物差しを、天に於いた人がいる。

西郷隆盛である。

まず、西郷の人格、思想の原点に「敬天愛人」という言葉があり、
彼が好んでよく使い、揮毫した言葉である。

「天を敬(うやま)い、人を愛する」と読む。
この言葉から、西郷の指針(目標)が「天」にある、
ということが明らかである。

西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』より、以下抜粋

~道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也~

(現代訳)
~道というのはこの天地のおのずからなるものであり、
人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、
天を敬うことを目的とすべきである。
天は他人も自分も平等に愛したもうから、
自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。~


西郷隆盛のあの人徳と器量の大きさの根底は、
その無私にあるといわれている。
彼は己をむなしくし、思考と行動の基準を
天という無二の存在に求めていたことによるのではないだろうか。

これは、天は一つしか存在しないこととから、
万民共通の物差しとなりえること。

そして地球の上から万民を包み込み得る存在であることから、
たとえば「恥をなせば人は気付かずとも天は見ている」
といった意味での自制の指針に成り得るからである。


大人は容易に小人を計れるが、小人が大人が計ることは難しい。
しかるに、ここで小人に小人たる私が、西郷の敬天愛人の
人格、内部について触れる得るのは、この程度が
人間的かつ人格的な限界である。
おびただしい関連の本が出ているので、そちらに譲りたい。

ちなみにそのおびただしい本の古典的、原点として、
1冊挙げるなら、「大西郷遺訓」であろう。

政教社から大正14年3月10日に出版され、
たちまち増版に次ぐ増版、同年9月には20版。
私が持っているのはそれである。

現在は 政教社はない。
そこでインターネットで調べてみると、
大西郷遺訓―立雲頭山満先生講評 『大西郷遺訓』出版委員会とある。
アマゾン等から簡単に手に入るようである。

この本は、上の『南洲翁遺訓』に中村天風の師で知られる頭山満の講評を添えたもの。
旧仮名遣いだが、頭山が弟子達に、西郷の人格と思想を講話した講述で実におもしろい。


ともあれ、天を物差しに、「敬天愛人」と唱え、
人を愛すること自分の生き方の礎に、と強く意識するだけで、
小人の私も、気が大きくなり、胸を張って生きていける
勇気がわいてくる。

不思議ではある。