経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

爺婆から学ぶ商いの本質

2009年10月10日 | Weblog
山田さんが作って、木下さんという八百屋さんが売ったニンジンを、
私が食べて胃に入れたとして、胃は、山田製造、木下販売、
と区分しているいるわけじゃない。

中に取り込まれれば、これまでの所有権、主語、ラベルなど抜け、
だれの喜びでも、私の脳で、自分の喜びとして感じることができる。
そこでは、他人の喜び、私の喜びみの区分はない。


自分の喜び自体が少なくても、他の人の喜びを仕入れることで、
脳にを喜びでいっぱいに出来ることを意味する。
情けは人の為ならず、というが、喜びもまた然り、ということだ。

自分の手持ち喜びの在庫+他から喜びを仕入れ
ーそれを他者に売る=期末手持ち喜び在庫

以上の式の繰り返しが人生であり、右辺の「期末手持ち喜び在庫」が
マイナスであれば、嘆きの人生、プラスであれば喜びの人生となる。

どちらの人生を選ぶかは各人の選択だが
自分の悲喜こもごもの材料がないとしても、
他者と五感の共有を通じて、それを自分の脳へ
取り入れることが出来るということになる。

以下、喜びを例に採るが、悲しみを選択したい方は、
悲しみに置き換えていただきたい。


他人にも喜びがない、としたらどうする。
方法は大きく2つある。

一つは、近くにいなかったらマーケットを拡げて、
県内全域に拡げる。それでも足りまかったら日本中といった戦略。

もう一つは、こちらで他の人を喜ばせてあげる戦略だ。
相手を喜ばせて、それを一緒に喜ぶ。
爺婆ちゃんは、孫を喜ばせて、これが私の生き甲斐といって喜んでいる。
寝ても覚めても、孫の喜ぶ顔を見たさに、命を延ばしている。

この手を使うのである。爺婆から、経営者は学ぶべきだ。
自分の孫の喜ぶことを考えている爺婆の自分に戻ることだ。


これを式に表すと、次のようになる。

自分の手持ち在庫0+他人の喜び仕入れ(他人の喜び0+他人の喜び創造)
-期中喜びの消費= 期末手持ち喜び在庫

つまり、自分の手持ち喜びの在庫がなくても、他人を喜ばせ、
それを一緒に喜ぶことで、期末手持ち喜び在庫をプラスにもっていく。


作り手と売り手が、これを取引先、消費者にやったらどうなるか。
日本中の企業が、これをやったらどうなるか。

日本の人口と消費者の数はほぼ一致する。
だから、これを、日本の企業が全部やったとしたらどうなるか。

日本全体としての喜び在庫がものすごく多くなるのだ。
喜びの島、日本、ということだ。


これは、どういうことを意味しているか。
商いはすばらしいものだ、経営はすばらしいものだ
ということになる。それが理解できるはずだ。

商い、経営はの本質はここにある。
人を喜ばすことにある。
人を喜ばすことで、自分も喜べ、さらに生業が立つ。
時には蔵や豪邸すら建つ。

だからもう一度記する。「喜ばすは人の為に非ず」。

これを冷たい方から言えば、
消費者を喜ばせるという本質を理解せず、
自分の喜びだけの仕入れに勤しむ企業が倒産することになる。

人、消費者のニーズは自分が喜ぶことにあり
、企業を喜ばせるにないから、こうした企業では、
たちまち右辺の手持ち喜び在庫がマイナスになるから当然である。

この点がつかめていない企業再生、経営革新は断言して良い。
再生も革新も、存続すら一過性。続かない。