山田さんが作って、木下さんという八百屋さんが売ったニンジンを、
私が食べて胃に入れたとして、胃は、山田製造、木下販売、
と区分しているいるわけじゃない。
中に取り込まれれば、これまでの所有権、主語、ラベルなど抜け、
だれの喜びでも、私の脳で、自分の喜びとして感じることができる。
そこでは、他人の喜び、私の喜びみの区分はない。
自分の喜び自体が少なくても、他の人の喜びを仕入れることで、
脳にを喜びでいっぱいに出来ることを意味する。
情けは人の為ならず、というが、喜びもまた然り、ということだ。
自分の手持ち喜びの在庫+他から喜びを仕入れ
ーそれを他者に売る=期末手持ち喜び在庫
以上の式の繰り返しが人生であり、右辺の「期末手持ち喜び在庫」が
マイナスであれば、嘆きの人生、プラスであれば喜びの人生となる。
どちらの人生を選ぶかは各人の選択だが
自分の悲喜こもごもの材料がないとしても、
他者と五感の共有を通じて、それを自分の脳へ
取り入れることが出来るということになる。
以下、喜びを例に採るが、悲しみを選択したい方は、
悲しみに置き換えていただきたい。
他人にも喜びがない、としたらどうする。
方法は大きく2つある。
一つは、近くにいなかったらマーケットを拡げて、
県内全域に拡げる。それでも足りまかったら日本中といった戦略。
もう一つは、こちらで他の人を喜ばせてあげる戦略だ。
相手を喜ばせて、それを一緒に喜ぶ。
爺婆ちゃんは、孫を喜ばせて、これが私の生き甲斐といって喜んでいる。
寝ても覚めても、孫の喜ぶ顔を見たさに、命を延ばしている。
この手を使うのである。爺婆から、経営者は学ぶべきだ。
自分の孫の喜ぶことを考えている爺婆の自分に戻ることだ。
これを式に表すと、次のようになる。
自分の手持ち在庫0+他人の喜び仕入れ(他人の喜び0+他人の喜び創造)
-期中喜びの消費= 期末手持ち喜び在庫
つまり、自分の手持ち喜びの在庫がなくても、他人を喜ばせ、
それを一緒に喜ぶことで、期末手持ち喜び在庫をプラスにもっていく。
作り手と売り手が、これを取引先、消費者にやったらどうなるか。
日本中の企業が、これをやったらどうなるか。
日本の人口と消費者の数はほぼ一致する。
だから、これを、日本の企業が全部やったとしたらどうなるか。
日本全体としての喜び在庫がものすごく多くなるのだ。
喜びの島、日本、ということだ。
これは、どういうことを意味しているか。
商いはすばらしいものだ、経営はすばらしいものだ
ということになる。それが理解できるはずだ。
商い、経営はの本質はここにある。
人を喜ばすことにある。
人を喜ばすことで、自分も喜べ、さらに生業が立つ。
時には蔵や豪邸すら建つ。
だからもう一度記する。「喜ばすは人の為に非ず」。
これを冷たい方から言えば、
消費者を喜ばせるという本質を理解せず、
自分の喜びだけの仕入れに勤しむ企業が倒産することになる。
人、消費者のニーズは自分が喜ぶことにあり
、企業を喜ばせるにないから、こうした企業では、
たちまち右辺の手持ち喜び在庫がマイナスになるから当然である。
この点がつかめていない企業再生、経営革新は断言して良い。
再生も革新も、存続すら一過性。続かない。
私が食べて胃に入れたとして、胃は、山田製造、木下販売、
と区分しているいるわけじゃない。
中に取り込まれれば、これまでの所有権、主語、ラベルなど抜け、
だれの喜びでも、私の脳で、自分の喜びとして感じることができる。
そこでは、他人の喜び、私の喜びみの区分はない。
自分の喜び自体が少なくても、他の人の喜びを仕入れることで、
脳にを喜びでいっぱいに出来ることを意味する。
情けは人の為ならず、というが、喜びもまた然り、ということだ。
自分の手持ち喜びの在庫+他から喜びを仕入れ
ーそれを他者に売る=期末手持ち喜び在庫
以上の式の繰り返しが人生であり、右辺の「期末手持ち喜び在庫」が
マイナスであれば、嘆きの人生、プラスであれば喜びの人生となる。
どちらの人生を選ぶかは各人の選択だが
自分の悲喜こもごもの材料がないとしても、
他者と五感の共有を通じて、それを自分の脳へ
取り入れることが出来るということになる。
以下、喜びを例に採るが、悲しみを選択したい方は、
悲しみに置き換えていただきたい。
他人にも喜びがない、としたらどうする。
方法は大きく2つある。
一つは、近くにいなかったらマーケットを拡げて、
県内全域に拡げる。それでも足りまかったら日本中といった戦略。
もう一つは、こちらで他の人を喜ばせてあげる戦略だ。
相手を喜ばせて、それを一緒に喜ぶ。
爺婆ちゃんは、孫を喜ばせて、これが私の生き甲斐といって喜んでいる。
寝ても覚めても、孫の喜ぶ顔を見たさに、命を延ばしている。
この手を使うのである。爺婆から、経営者は学ぶべきだ。
自分の孫の喜ぶことを考えている爺婆の自分に戻ることだ。
これを式に表すと、次のようになる。
自分の手持ち在庫0+他人の喜び仕入れ(他人の喜び0+他人の喜び創造)
-期中喜びの消費= 期末手持ち喜び在庫
つまり、自分の手持ち喜びの在庫がなくても、他人を喜ばせ、
それを一緒に喜ぶことで、期末手持ち喜び在庫をプラスにもっていく。
作り手と売り手が、これを取引先、消費者にやったらどうなるか。
日本中の企業が、これをやったらどうなるか。
日本の人口と消費者の数はほぼ一致する。
だから、これを、日本の企業が全部やったとしたらどうなるか。
日本全体としての喜び在庫がものすごく多くなるのだ。
喜びの島、日本、ということだ。
これは、どういうことを意味しているか。
商いはすばらしいものだ、経営はすばらしいものだ
ということになる。それが理解できるはずだ。
商い、経営はの本質はここにある。
人を喜ばすことにある。
人を喜ばすことで、自分も喜べ、さらに生業が立つ。
時には蔵や豪邸すら建つ。
だからもう一度記する。「喜ばすは人の為に非ず」。
これを冷たい方から言えば、
消費者を喜ばせるという本質を理解せず、
自分の喜びだけの仕入れに勤しむ企業が倒産することになる。
人、消費者のニーズは自分が喜ぶことにあり
、企業を喜ばせるにないから、こうした企業では、
たちまち右辺の手持ち喜び在庫がマイナスになるから当然である。
この点がつかめていない企業再生、経営革新は断言して良い。
再生も革新も、存続すら一過性。続かない。