鹿児島大学の社会人向けの公開ゼミを聴講する機会があった。
私は、もう相当以前から、自分の仕事、専門である経営に関しては、
専門書を読むことはまずない。
同様、こうしたゼミも、経営以外のテーマしか関心がない。
だから、本にしろ、講演にしろ、経営以外が関心だ。
経営以外の世界は広い。だから、関心事がやたらに増え、
結果的に、感心することや寒心することも増える。
「水の話」、
これが今回聴講した大木公彦教授のテーマである。
実におもしろかった。
様々な観点から、得るものが大きかった。
そういう意味では、久々知的快感に浸ることができ、興奮した。
もう15日も前の話だが、まだ余韻を楽しんでいる。
その興奮、いろいろあるが、以下2つだけ、記する。
先生は、地質学の権威である。
学生をのぞく社会人聴講生のほとんどは、今、流行の「水」への
関心で聴きに来ている。私もそうだ。
だからこそ、テーマも「水の話」
だが大木教授は、1.5時間の話で水に触れたのは、一言。2-3秒。
後は、土壌の話なのだ。
看板に偽りありか。いや、そうではない。
これぐらい水のことがよくわかる話を、
これまで聴いたことはないという思いが、
私だけではない聴講生の思いなのだ。
(後の懇親会の各人の感想)
これは、話術といったことより、ものの本質、
すなわちこの場合、土を語れば、
水の99を知ることが出来るということだ。
私達にはなじみがなく、難しく思える土の話を、
「水」との関わりで捉えて話をすると、土の話が水の如く(如水)、
頭に入ってくる。土がわかれば、水のことは、みずからわかる。
これではないか。と聞きながら私は、驚嘆した。
端的に言えば、人100人ー女1人=99人男性。
99語らず、1を知ればわかること。
それに、大木先生。この人は土が好きで好きでたまらない。
それこそ土の話をするのに、嬉しくて、よだれを流している感じ。
表情といい、話しぶりといい。黒板の殴り書きの文字といい。
みなそれを物語っている。
「こりゃ、この先生、子や孫より、土が好きなんだ」
という気持ちが、聞く者に伝わってきて、つられて
聞いている私まで、俄土壌好きになる。
私も今は1つに絞ったが、以前はいくつかの経営学会に所属していた。
また生意気ながら実践経営学会では理事として、
学生や社会人の経営に関する論文のレフリー(審査)をやっている。
今は、驚かないが、最初は驚いた。いや悲観した。
論文が、ほとんど読めない。わからないのだ。
「ショック」。 以下、次号で
私は、もう相当以前から、自分の仕事、専門である経営に関しては、
専門書を読むことはまずない。
同様、こうしたゼミも、経営以外のテーマしか関心がない。
だから、本にしろ、講演にしろ、経営以外が関心だ。
経営以外の世界は広い。だから、関心事がやたらに増え、
結果的に、感心することや寒心することも増える。
「水の話」、
これが今回聴講した大木公彦教授のテーマである。
実におもしろかった。
様々な観点から、得るものが大きかった。
そういう意味では、久々知的快感に浸ることができ、興奮した。
もう15日も前の話だが、まだ余韻を楽しんでいる。
その興奮、いろいろあるが、以下2つだけ、記する。
先生は、地質学の権威である。
学生をのぞく社会人聴講生のほとんどは、今、流行の「水」への
関心で聴きに来ている。私もそうだ。
だからこそ、テーマも「水の話」
だが大木教授は、1.5時間の話で水に触れたのは、一言。2-3秒。
後は、土壌の話なのだ。
看板に偽りありか。いや、そうではない。
これぐらい水のことがよくわかる話を、
これまで聴いたことはないという思いが、
私だけではない聴講生の思いなのだ。
(後の懇親会の各人の感想)
これは、話術といったことより、ものの本質、
すなわちこの場合、土を語れば、
水の99を知ることが出来るということだ。
私達にはなじみがなく、難しく思える土の話を、
「水」との関わりで捉えて話をすると、土の話が水の如く(如水)、
頭に入ってくる。土がわかれば、水のことは、みずからわかる。
これではないか。と聞きながら私は、驚嘆した。
端的に言えば、人100人ー女1人=99人男性。
99語らず、1を知ればわかること。
それに、大木先生。この人は土が好きで好きでたまらない。
それこそ土の話をするのに、嬉しくて、よだれを流している感じ。
表情といい、話しぶりといい。黒板の殴り書きの文字といい。
みなそれを物語っている。
「こりゃ、この先生、子や孫より、土が好きなんだ」
という気持ちが、聞く者に伝わってきて、つられて
聞いている私まで、俄土壌好きになる。
私も今は1つに絞ったが、以前はいくつかの経営学会に所属していた。
また生意気ながら実践経営学会では理事として、
学生や社会人の経営に関する論文のレフリー(審査)をやっている。
今は、驚かないが、最初は驚いた。いや悲観した。
論文が、ほとんど読めない。わからないのだ。
「ショック」。 以下、次号で