お寺さんに法事の予約をとって、叔母のところへお歳暮を持って行った。二人とも留守で、時間が空いたので古本屋と本屋へ寄った。
高松の雅さんがブログでかいているように、本屋は人の関心が何処にあるかを掴むのには、欠かせない場所である。
本自体は、インターネットで買うか、古本屋。前者は目的買100%。本屋回りはそのための下調べという役割もある。なぜなら、一堂に並べてあることと、平積みといったことでその本の「存在的地位」を確認できるからだ。これは、「この本を買ったことのある人は、こんな本も読んでいます」と、余計なお節介などの多いWEBショップなどが追従できない本屋の良さである。
古本屋に行き始めたのは、学生時代に神田の古本屋によくいった時代を別にすれば、ごく最近からである。ここも情報収集にうってつけ、ということを実感し、頻繁に足を運んでいる。
同じ本が何冊も安値であれば、それはある年のベストセラーで、他者に引っ張られ購入したけれど、読んでみたら蔵書にするほどのものではない、といったことで、古本に並んだ、といったことだろう。
この視点で、著者ごとにみると、ある特定の著者の固有名詞が特定でき、これを始めるとやみつきになるぐらいおもしろい。自分の仮説の当たり外れの確認も出来て、悦に入ったりまだ人を診る目の甘さに反省もするといったこともある。
逆にベストセラーになりあれほど売れたのに、何処へ行っても在庫がない。こうした作家もまた特定できる。たとえば旧いところで、松本清張さん、新しいところで宮城谷昌光さん。ないということではないが、少ない。それに宮部みゆきさん。新作が出るたびに、旧い作品の在庫もなくなっている。
さらにおもしろいのは、経営関連の本だと、それが顕著、かつ明快に出ていることだ。一世を風靡して、末路を汚したり経営者のだした本、その関連のよいしょ型の本は、105円コーナーにだだっとある。 赤線やカキコミしたものは、古本屋では仕入れないから、そうしたことをする値打ちもない内容だったと、購入者が買ったことを後悔したのかも、自分の体験と重ねて、憶測したりする。
私は、そうしたことで古本屋から、どの著者が時間の変化にたえ、また変節しない人なのか、どうした著者が短絡、短期的な思考しかできない人なのかを掴んでいる。そうしながら、過去も今も、そしてこれからも変わらぬであろう本を見つけたら、これはまさに掘り出し物。即買う。普遍性あるものは、旧くなった分内容の価値は変わらないから、値が下がっている分、解読になるからだ。105円コーナーでそうしたものを見つけた日には、私は1日中嬉しい気分に浸れる。
だが、ちょっぴり後悔もするのだ。なんでこんな良い本と、早く出会えなかったのだろう、と。またちょっぴり苦い思いもするのだ。あのとき、高いと思ったとしても、買っておけば良かった、と。
だから、古本屋には本屋にない、自分のこれまでの人生への哀愁が漂っている。
高松の雅さんがブログでかいているように、本屋は人の関心が何処にあるかを掴むのには、欠かせない場所である。
本自体は、インターネットで買うか、古本屋。前者は目的買100%。本屋回りはそのための下調べという役割もある。なぜなら、一堂に並べてあることと、平積みといったことでその本の「存在的地位」を確認できるからだ。これは、「この本を買ったことのある人は、こんな本も読んでいます」と、余計なお節介などの多いWEBショップなどが追従できない本屋の良さである。
古本屋に行き始めたのは、学生時代に神田の古本屋によくいった時代を別にすれば、ごく最近からである。ここも情報収集にうってつけ、ということを実感し、頻繁に足を運んでいる。
同じ本が何冊も安値であれば、それはある年のベストセラーで、他者に引っ張られ購入したけれど、読んでみたら蔵書にするほどのものではない、といったことで、古本に並んだ、といったことだろう。
この視点で、著者ごとにみると、ある特定の著者の固有名詞が特定でき、これを始めるとやみつきになるぐらいおもしろい。自分の仮説の当たり外れの確認も出来て、悦に入ったりまだ人を診る目の甘さに反省もするといったこともある。
逆にベストセラーになりあれほど売れたのに、何処へ行っても在庫がない。こうした作家もまた特定できる。たとえば旧いところで、松本清張さん、新しいところで宮城谷昌光さん。ないということではないが、少ない。それに宮部みゆきさん。新作が出るたびに、旧い作品の在庫もなくなっている。
さらにおもしろいのは、経営関連の本だと、それが顕著、かつ明快に出ていることだ。一世を風靡して、末路を汚したり経営者のだした本、その関連のよいしょ型の本は、105円コーナーにだだっとある。 赤線やカキコミしたものは、古本屋では仕入れないから、そうしたことをする値打ちもない内容だったと、購入者が買ったことを後悔したのかも、自分の体験と重ねて、憶測したりする。
私は、そうしたことで古本屋から、どの著者が時間の変化にたえ、また変節しない人なのか、どうした著者が短絡、短期的な思考しかできない人なのかを掴んでいる。そうしながら、過去も今も、そしてこれからも変わらぬであろう本を見つけたら、これはまさに掘り出し物。即買う。普遍性あるものは、旧くなった分内容の価値は変わらないから、値が下がっている分、解読になるからだ。105円コーナーでそうしたものを見つけた日には、私は1日中嬉しい気分に浸れる。
だが、ちょっぴり後悔もするのだ。なんでこんな良い本と、早く出会えなかったのだろう、と。またちょっぴり苦い思いもするのだ。あのとき、高いと思ったとしても、買っておけば良かった、と。
だから、古本屋には本屋にない、自分のこれまでの人生への哀愁が漂っている。