経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

見て、思ったこと

2007年12月11日 | Weblog
 旧い、極道映画を見ました。

悪人の顔をした悪人より、善の顔をした、実は悪人というのが始末に負えない。

 同様、このことも以前書いたことがあるのですが、古今東西、世界中の戦争を仕掛ける大義名分,ベスト3は、必ず「和」と「正義」、そして「神の思し召し」。

換言すると、和、正義、神を表看板にアプローチされると、おおよそそこの3つに反対する人はいないから無防備で受け入れてしまう。その油断を狙い、ぶすっとやる。
 映画の極道シリーズを見て、こうしたことを教えてもらいました。

 その点、表だって、自我丸出しの、「俺が、俺が」がと威張る人は、みな敬遠しますから、表だって実害はない。「大人になれない子供みたいな人だ」、とこちらが一歩引いて高い位置から見ることもできます。
 
 ですが、これは周囲の人。消費者、とりわけ見知りのないお客様、ということになると、そうした大人の余裕を見せることはありませんから、最初からそうした企業、お店を選ばないわけです。で、客数減となる。その実害は、じわっと出てくるわけです。

 その場合、経営者は、売上不振に対しての対策を考えるわけですが、不思議なことですが、たいていそれは企業、お店の対策なのです。ですから、本質的な解決にならない。
 営業会議で、「売上不振は、社長が威張っているから」といった意見がでたという話、聴いたことありません。

 国会中継、見ました。
 議員は、立法を担っています。ですから、どうしても法の改正で、ことが良くなる、と解し、法律改正で、問題を解決しようとします。それは、それでいいのですが、1に、問題は法にあり、自分たちにはない、2に、自分たちは治外法権にある、という認識がどこかにみられるのです。これが本質的な解決ではない。ですから同じことが繰り返されることになるのです。
 以上は、昨日の国会中継から、学んだことです。

 もちろん、経営者にも然り、ともっていきたいため、と、ここまでキーを叩きながら、私は、私自身が、治外法権して、これを書いていることを、自己矛盾として恥ずかしく思います。

 キリストの言葉を借りるまでもなく、人は、人を裁く資格はないのでしょうが、裁く人がいなかったら、これは困るし、たくさんの司法関係者が失業する。
 此の矛盾、ここはひとつご容赦、願います。