経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

霞ヶ関にて

2007年09月24日 | Weblog
霞ヶ関周辺を歩いている。 首相がいなくても、この街は、日本を回しているのだ。そのことを思うと、話をそちらへ転じたくなったが、「街」に留め置きたい。

ローソンがなぜ多いか。ドラッグストアが一店もないのは、なぜか。
銀行が少ないのはなぜか、病院は歯科医が目立つ。なぜか。

 こうしてわかりきったことも、「なぜか」の仮説を並べて考えると、その街が頭の中で大きくふくらみ、深みを増す。実に楽しい私の遊びのである。

 ビルの地下にスーパーが1つあり、そのなかに小さな100円ショップがある。品揃えは文具に絞られている。客はいない。

 マクドナルド、なか卯などもあるが、閑散としている。昼間の稼ぎどきも並ぶ、といったことはない。ずいぶんと外れに、「吉野家」もあるが、同じである。そもそも人通りに比べて店舗が小さい。だがドトールやスターバックスなど喫茶系は100メートル歩けば一店はある感じで、こちらはけっこう賑わっている。

 外から見える中の中高年のおじさんやおばさんが、孤独と疲れをいやしている、といった風情で、それが街のもつ喧噪さが、この街からは覗えないことと相まって、ビジネス街との大きな違いである。

 街を歩いている人たちは、この馬鹿暑に男女ともスーツ姿が多い。特に女性の服の色が地味なダーク系なのは、よその街ではみられない光景かな。

 高齢の女性も案外に見かけるが、彼女たちの服装は、すれ違うだけでわかる高級なドレス。豪華だが、これまた地味系、ダーク系が多いことから、式典や会への参加者かな、と思われる。

 若い人が少ない。子供を見かけない。いわば爺と婆だけの街。この点は、我が鹿児島の郡部と変わりはない。違うのは着ている服装と建物の大きさ。それにこれが一番大きい違いだろうが、前者は生活感がなく人工的。この点は我が町が大いに勝る。
 
 ホテルの部屋の窓から、下を行き交う人々を見下ろしながら、こんな自然のない(事実緑のない街だ)、生活感のない街、ビルの中で、日本の行政が行われていることのあやうさを感じた。

 それは、かって私が、大手スーパーの本部にいて、行ったこともない、見たこともない街のお店の商品を仕入れていたことと重なり、今見ている風景からその「あやうさ」を、感じ、冷や汗が出そうな思いがした。

 たった3日。それもほんの一部の体験。それを、「である」と断定するつもりは毛頭無い。かりに全部を見て体験したことだったとしても、それが正しい風景とはいえないであろう。
 だが、小さな糸口から、大きな空間をキャンパスにあれこれ推量と空想し、街を組み立てる作業は、独りよがりであればこそ、こよない旅の楽しさに思える。