経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

暦の縛り

2007年09月18日 | Weblog
暦の話である。

昔は、日めくり。
1日をそれこそ一所懸命生きたら1日が終わり一枚捨て、それが364回続きると大晦日。そしてお正月。正月の意味は、「1を止める」、すなわち除夜の鐘を合図に、過ぎ去ったことを帳消し(改め)。
 その証として、また新しい日めくりの暦が始まる。それがいつしか月めくりになり、最近は2ケ月めくりも増えている。
 これはどういうことだろう、とふと考えてみたくなったのは、「理由(わけ)」がある。

 日めくりは、1日を考えて生きるには、都合がいい。昨日もなし。明日もなし。今日の1枚を、一所懸命生きるためには戦略は1日分で十分だ。いや戦略という概念すら不要であろう。
 
 1ケ月めくりになると、その月の初め1日の朝は、たとえば9月を一覧して、「今月のメルマガの配信は今日(1日)と15日。13-14日は博多へ出張だから、13日までには原稿を仕上げて・・・」と考える。やや戦略味を帯びる。

 つまり1ケ月を俯瞰的にみて、段取りを考える。今日、明日の仕事の優先順位を検討する。こうしたことが少し大仰だが、戦略思考だ。

 だが9月15日を過ぎると、見えるのは残り15日。その先は見えないのである。それも月末日が近づくにつれ、徐々に戦略視野が狭くなってくる。将来(さき)は存在(ある)のに、である。

 「2ケ月カレンダー」だと、どうだろうか。
 8月1日に立つと、60日分が見通せるのである。より計画的、戦略的に物事を考えることが出来る。だが日を追い、これまた9月15日を過ぎると、見えるのは残り15日(16日)だけ。やはり先の視野は狭く見えない。
 次の月10月を見ることが出来るのは、9月30日を終えてから、ということになる。
 
 手帳も様々な種類はあるが、この点では似たようなもの。
 そうした「全体を見通せないことの問題」を指摘し、それを改善するために考案されたのが、「超整理手帳」(野口悠紀雄氏創作)であることは、大方氏の著書などで周知の通りである。

 手帳の宣伝をやろうということで書いているのではない。思考は、こうした日々何気なく使っているもので、知らずして縛られているのではなかろうか。そうだとしたらとんでもないぐらい怖いことではないか、といったことが頭によぎったからであである。

 考えてみたら私たちは柱時計や置き時計には縛られることは少ないが、腕時計には様々な意味で拘束される。そのマイナス面は、日めくり暦の段ではない。とりわけデジタル表示はアナログと比べてダントツ思考視界が狭い。極端な言い方をすると、秒単位の狭く、短く、せわしい思考視界なのだ。

 そうおもって、以来、腕時計を一切使用しなくした。戦略を専門にしている私が戦略眼の思考視界を狭くする道具を使うことは、けして「やってはならないこと」だからである。

 今、ここで短期経営計画を作成するとする。手近に最低でも過去1年分、今年1年、来年の分、3年分のカレンダーが欠かせないはずだ。これが10年を単位とした、長期経営計画になると、過去の10年、今年の1年、先の10年分、合計21年分のカレンダーがなければ創れない。現実は過去のカレンダーは保存しておけばいいのだが、未来の分は、存在していないから、ほとんど頭の中での空想のカレンダーになる。

 「これは、あぶなかしい」、「ここに経営計画の落とし穴みたいなものがあるのではないか・・・」と今朝、ベットの中でそのことを思い、今パソコンに向かい思いつくままメモを打ち出しているところだ。
 そのまとまりのままの創作メモである。ご容赦願いたい。