経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

こちらの岸から、向こう岸-2

2007年09月13日 | Weblog
 首長がテープカットした、その日がこの街の入り込みのピークといった揶揄的笑い話は、実態に近い。一時的な賑わいが元の閑散さに戻っても、借入れ返済は元に戻らないのだから笑い話ではなく悲話である。

 そもそも新装なった商店街のにぎわいの裏には、その分、客を奪われた商店街が必ず存在する。衰退した商店街があれば、その近隣に活性化を果たした商店街がある、その商店街が活性化をやれば、今度は先に活性化した商店街が沈滞する。

 なんのことはない。シーソーゲームである。しかも商店街同士シーソーゲームをやっているうちに郊外立地に超大型SCなどの新しい商業集積が突如創成され、このシーソーゲームそのものが成り立たなくなってきた。こうしたことが、今度の三法(実質2法の改訂)改正の背景にはある。

 この現状自体が,従来型の街づくりが消費される立場からの街づくりのむなしさの証である。その証を積み重ねてきたというのが戦後の商店街近代化・高度化の歴史といってよい。

 ラーメンの器をいかに豪華にしてもラーメンそのものが、うまくなければ客数は増えない。商店街もお店も然り。

 もちろん器を豪華にすれば、中身もよい方向に変わるであろうと期待と願望を込めて、そうしたハード中心の活性化は目論まれる訳であろうが、たいていはこの期待は見事に裏切られる。

 そして近代化・高度化に乗り遅れ、取り残された商店街が、いわゆる発想・視点の転換というアプローチで街づくりし、脚光を浴びている例もけして少なくないのである。(著名なところでは、大分・豊後高田の「昭和の街づくり」)。歴史は年を経るごとにその重みを増す。アンテックは年数か付加価値を創成する。周囲が近代化・高度化するほど希少価値が増す。これほど自然の摂理に即したもの0は無かろう。

 もちろん、成功例がないといっているのではない。
成功している(ようにみえる)例も少なくはない。だが、新しさを誇るものは、年月が天敵。まさに花の命は短い。また新しさは、次により新しいものが出てきたとき、その価値と魅力は急速に激減する。成功要因が次の敗因なのである。こうした自然の摂理には、人智では逆らえない。

 しかもその成功は長続きしないだけではない。一過性的成功を得たことで、1に本質をえぐり出すかけがえのない機会を逸し、あるいは商いを侮り、問題怪傑を先送りしてしまうのだ。2に、多大なエネルギー、投資により、次の街ずくりへの取り組みが制約を受けることだ。いわゆる負の財産を担う宿命にある。

 一時の栄華を得て一世を風靡、そしてたちまち衰退していったおびただしい事例を目の当たりにしていながら、次々とまたそのパターンへ入る。これを留めなければならない。次が見えなくても、この将来まで危うくする出血の戦略を破棄することだ。もうこれ以上、多大な財貨とエネルギーを投じて、小孫の代まで負の資産を担わし、むなしさの繰り返しを起こさせてはならない。

 まずは、すでに触れたが、どうして衰退したのかという本当の要因をえぐりだすことだ。さらけ出すことだ。それも「行政が何もしてくれなかった」、「郊外に流れは変わった」といった、外に因を求め手は、手は打てなくなる。そうした論議を排除することだ。
街、お店を選ぶのは消費者なのだ。断定をしていい。このことから離れた街づくり理論も論議もムダだ。

 今こそ、私たちは、事業における真の成功とは、消費者との対峙の概念ではなく、対(つい)の関係、すなわち消費者に支えられることで得られるということを、街づくりにおいても、明快に認識、活かすべきである。

 そのためには、こちら側が、消費者・生活者のいる向こう岸へ身も心も移し、消費者から学び、消費者から支えられ、協力を得ての、消費者を中心においた街づくりへ、転換を図らなければならない。
 このことを強く、提言したいのである。