経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

こちらの岸から、向こう岸

2007年09月11日 | Weblog
2006年6月、いわゆるまちづくり三法が改正された。その要点を一言で言うと、1に郊外から中心地へ、2に、街づくりから、生活空間というニュアンスをおいた「まちづくり」へ、この2点である。

向こう岸にいる消費者、そっちのけで、こちら側で話題の重点を変えたにすぎない、それが初めて改正案を見ての私の思いである。
理由は、「早い話が郊外で買うか、中心支部で買うか、何処で生活するかなどなど、向こう岸の消費者、生活者の意志決定である。それを、こちらの岸で、ここで買って欲しい。生活はこちらの方へと鬼ごっこよろしく、と言ったところで、これまで通りむなしさが繰り返されるだけである」、と考えたからである。

現状、全国商店街の9割超が衰退しており、とりわけ中小零細商店の減少傾向は著しく、その対策は急務である。しかし対策の前に絶対必要なことがある。それは「衰退の本質的理由の究明、把握」である。

多くの場合、この理由の解明が置き去りにしたまま、いきなり対策、すなわち街づくりがなされている感がする。

それでは対策としての近代化、高度化とは何を意味するのであろうか。他の街にあって、当街にないものを補完することなのか。他の街に効果があった施策をうちの街にもということなのか。

前者は横並び、そして単に並んだにすぎない。後者は、異なる病気に同じ施術、投薬ということになる。衰退理由の異なるかもしれない病状に対して、これは無茶である。
 場合によっては病状はさらに悪化することだって考えられる。事実、高度化、近代化の後、時間をおかず破綻した事例すらあるのである。(まちづくり佐賀エスプラッツの破綻)

同じ施策が、異なる当街に処方されて効果が期待できるものであろうか。そういった素朴な問いを自らに問いかけることもないまま、支える民意(住民、消費者)からみたら街が他動的に作り替えられている。生活者からかけ離れた次元で、生活者への提言やものづくりが行われ、それを商業者はそのまま横に、あるいは上から下に流すだけで、付加価値と称する口銭を得ている。
 こうしたことに自ら疑義と反省をもつ商人が、いったいどれだけいるだろうか。

従来、活性化事業に取り組み、それなりに成果を上げたと評価されている既存の商店街の繁栄は、同一地域、たとえば隣の商店街との差別化による一時の勝利であるといってよい。

「〇〇事業に取り組んだ結果、わが街はこうして活性化に成功した」といった商店街をよく見てみると、事業本来の目的である購買力の流出防止や商圏の拡大に成功したというより、たとえば「アーケードもなく、駐車場もなく、シール事業もやっていない、なにより今まで街づくりだの店舗改装だのに関心のない遅れの近隣商店街との差別化が計られた」というに過ぎない、といったケースがほとんどである。 (続く)