経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

客体験

2007年04月11日 | Weblog
「何処にも見あたりませんが・・」、Y先生は首をかしげる。もう3回、同じことの繰り返しである。「先生、この歯とは、ずいぶん長くつきあってきているので、分かるんです。釈迦に説法かもしれませんが、私は患者のプロです。もう一度、調べていただけませんか」

午前中、久々に歯医者へ行ったときの、先生とのやりとりだ。

昨夜、自治会の総会で話をしているとき、舌にかすかな、ほんにわずかに刺すような違和感を覚えた。その違和感には、確かな記憶があった。歯が欠ける前兆なのだ。過去、それを放置して、ひょっとしたはずみに舌が挟み込まれた記憶がある。

 前回も同じY歯科医院で、この先生がから「見あたりませんね」といわれたが、あきらめず調べてもらったら、目では見えない亀裂が見つかった。今回も、同じ場所なのだ。
 Y先生は、昼食時間にかかったが、それでも30分もかけて、今度も見つけてくれた。

 Y先生をやぶ、私の方が正しい、そんなことを言いたいのではない。床屋は床屋へ行かない。床屋での客体験を持たないのが、坊主と床屋なのだ。歯医者は、歯医者に行かない。歯の治療を受けた患者体験がほとんど無いのが、歯医者なのである。

 1に、そもそも歯がいい人が多い。叔父に伯父が歯医者だか、二人とも高齢になるまで虫歯一つ無かった。2に、ましてやY先生、夫婦とも歯医者なのだ。歯の患者の経験はないはずだ。その点、私はほとんど病気しないが、小さい頃から歯だけは例外。爺、婆、両親とも歯が持病みたいなものだった。私も然り。だから歯に関しての患者の経験は、両先生より遙かにませる。

 ましてや舌は、神経の巣窟みたいな部位で敏感である。先生が見えない違和感を、舌は官日ことができるのである。断定したが、悪い歯のお陰で、こうしたことを断定できるようになったのである。だから、患者のベテランの私が、歯がゆい胃想いをして、一生懸命伝えても伝わらないのは、上の理由から無理もないこと。しかたがないこと。Y先生、患者の言い分を歯牙にもかけない態度をされないだけでも立派である。

 歯の話をしているが、実は経営の話をしている。患者の立場になって、と言っても言われても、その実むす香椎のである。歯医者は、歯の病の経験が一番乏しいのだから。経営も、消費者の立場に立って、と言っても言われても、なかなか出来ないのは、経営を始めてから、消費者になる機会や消費者の視点で、消費を見なくなっていることによる。これを申しあげたかったのだ。

 だから、私が口癖に言っている、「経営者は、消費者体験をせよ」は、存外難しいことなのである。私がもし歯医者の講演をやったら、「先生方は自分の歯を抜いて、総入れ歯に」というだろう。極端?とんでもない。俳優さんでは、役作りのために自慢の歯を抜く人など、珍しくない。

 三国連太郎さんなど、その一人だ。他の映画に出て、違う役やるとき困るだろう、という人に名優などいやしない。口で役作り、一期一会といっているだけである。ましてや坊主や尼の役で、カツラをしている最近の俳優を見てごらんなさいな。とても三国さんたちに歯が立たない。芸を演じているに過ぎない。

 プロとは、役に成り切りができる人をいう。経営者や政治家、高級官僚に翔ているのは、歯ではない。相手になりきって思考する力、舌のような感覚だ、と私は思っている。