経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

思う。理想の経営

2007年02月17日 | Weblog
理想の経営を、あるお店を念頭におき、考えてみたい。

どんな事業であろうと、その間隔の差はあるにしてもリピートなしで存立することは難しい。

新規利用客だけで成り立つと錯覚しがちな観光事業ですら、例外ではない。ちなみに、観光関連業が、地域単位で盛衰の振幅が激しいのは、こうしたリピートがきかなくても、次々お客はわいてくる。エージェントが運んでくる、といった幻想を未だ捨てきっていないことの証である。
つまり、リピートがきかないことに対する怖さを、その実、実感していない。「この客に売ってナンボ」といった潜在意識が経営者に少しでもあれば、点灯の販売員は、顕在的に「売り込み」に励む、のは当然である。こうした「いちげん【一見】客で成り立つ、といった幻想が、未だ根強く残っているからに他ならない、と私は見ている。

ともあれ、いかなる分野の企業であろうと、一定以上のお客がリピートすることを前提に、物事を考えることが不可欠なのである。だから、どうしたら自分の店に一人でも多くのお客を引き付け、固定化し、リピート率を上げるかが、繁栄し続けるための命題になる。
当然、宣伝広告や販売促進の狙い、役割も、本来ここに置く。
 
しかし現実は多くの企業は、チラシとかイベント等の販売促進に、今の売上を獲得するため即効性を求めている。
そのため、1に、その反作用の怖さを忘れる。商品・サービスが悪い状況で、多くのお客が来店したらどうだろう。
わざわざ費用をかけてお客を集め、自社・自店に対する不満・不評をクチコミ効果により世間に広げていることにならないか。

こうした笑いごとですまされない事例は、「マスコミに取り上げられたお店、その後」で、よく見受けられる現象である。
こうした事例の内実は、もともとそれだけの力はなかったのに、メディアがのり、宣伝。行列の出来る店になったが、そのことが、実は多くの人を集めて不評宣伝になったというケース。またはそれなりに良い店だったが、多くの人が一時的に集中したことで、対応が十分に出来ず不評を買い、そのことを宣伝し、さらに見えない消費者を遠ざけてしまったか、いずれかであろう。
酒の強い人、弱い人にかかわらず、飲み過ぎると、誰しも不調になる。どちらにしろ繁盛し続ける秘訣の一つは、己のキャパシティ(分限)を知っておくことである。

 2に、それら一過性的集客効果が高ければ高いほど、お客の本当のニーズ、あるいは背を向けるほんとうの理由が、隠れてしまうことである。
売れるには売れる理由がある。売れないには、売れない理由がある。この理由を掴めないままで、企業存続は出来ない。苦心を重ねての試行錯誤とは、この「理由」を掴むところにその本意がある。

ほんとうに売れる店を調べていると、つまり自分の商品を売り込もう等といった気持ちは、さらさら感じられない。
その点、驚くぐらい謙虚である。一方自分の商品を実に信頼している。これは掘っておいても売れる、とこれまた驚くぐらい頑なに商品を信じ切っている。
こうした企業は、売れない商品の売り込みの努力が、最初から必要ないのである。売れる商品だけを作り、あるいは仕入れているからである。

もちろん、最初からその域に達しいたわけであるはずがない。なぜこれが売れないかを考え、売れるものが出来るまで試行錯誤を繰り返した結果である。  

だから売り手が商品に関して、あれやかれやとお客様に、こちらから説明する必要はないし、そんなことは、お客にとって迷惑なこと、と考えている。
お客が、お客自身の厳しい眼で鑑定してくれる。その鑑定眼に叶う商品を作り、出している。厳しいお客様の鑑定のお陰で、さらに良い商品が生まれると確信している。

そうした己に対する自負と、自分のお客様に対しての全幅の信頼が、そこにある。だからこそ。お客の勝手に、見えないお客まで引っ張ってきてくれるのである。

おびただしい消費者の厳しい眼に耐えられる、そうした商品を作り、あるいは厳選仕入れする、それがプロである、自分対の仕事であるというのが信念としてある。
 
こうした、見えない消費者が、見えるお客としてなだれ込む善循環システムの構築することこそ、経営者が、もっとも優先し、為さねばならない、本来の「経営という仕事ではなかろうか、と考えている。