経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

教えること考

2007年02月07日 | Weblog
人は、自らの体験により学びます。それを引き出し培うといったことが、エディケーションの本質です。「教育」はその邦訳。これを文字で追うと、「教えて育てる」、ということで、どうも他動的。何事も知っている人たちが未知、未熟な人を教えて、自分たちの思う通りの人間に育てよう、というニュアンスがにじみ出ているようです。
人の持つそれぞれの将来の経験や学び、可能性などを先回りして教えることは、聴いた人が、これから自ら体験で得る発見での感動などを奪うことになる。
 それだけではありません。時として柔らかい脳を、化石化したり、縛り、仕切ることにもなりかねません。将棋をしている人の後ろから、他人がいちいち差し手を示したのでは、上達もしませんし、第一おもしろくも何ともない。映画を見た人が、ネタバレするようなことをやったら、これからその映画を見る人はワクワク感を喪失してしまう。
こんなことは誰でもわかる。でも自らの体験や知識の切り売り、自慢話としてそんなことを平気でやる人は多いし、またそうしたアンチョコを期待する人も少なくないようです。
 講演やセミナーをやるとき、私が気をつけているのはそのことです。もちろん話はします。でもそれらは、引き出し、培うためのため。つまり呼び水の役割に止める。
先日の観光セミナーは、休憩を含めて6時間でした。冒頭、休憩入り、再開、最後のしめ、これらを寄せ集めて1時間程度が、呼び水としての、私の話。あとは参加者の、引き出す作業と引き出した自分の考えを、皆に聞いてもらい、かつみんなの意見を聴く時間でです。(上の写真は、中小企業大学校、観光セミナーでのMMAPで討議風景)
 このために、自分が開発したMMAPを使う。自分お考えを書き、整理し、人に晒す。人の意見を聴き、意見を取り入れ、再度整理。そして意思決定。そして意思決定したものを行動、体験プログラム化する手法である。参加者自身が、手と足と口を動かしての体験・行動を通じて、学ぶ。MMAPをやっていると皆さんを見ると、皆が生き生き、嬉々とする。笑い声が耐えません。
 この楽しさ、開放感こそ、教育の本質を象徴するものなのだ、と私は思っています。