経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

捨てる、ということ

2004年08月22日 | Weblog
 今真剣に、捨てるものを探している。いな「捨てるもの」はわかってる。問題は、その捨てる物を捨てられない自分に、いつの間にか堕落してしまったということだ。
 その理由もまたわかっている。これまたいつの間にか、小さな世界に閉じこもってしまって、その小さな世界の中での、大事なものと思っているものを、たった二つしかない手に手一杯握り締めて、放そうとしない自分が、そこにいるせいだ。
 そこでまだ理性が働いているうちにと、対策を考えた。1に幸い一週間ほど手が空くから、その間、可能な限り、別の世界をの垣間見る体験すること。これには旅が1番なのだが、余裕がないので、24時間*5日、見れる限りのビデオをみる。音楽、落語に浸る。2にこうして人為的に広げた別の世界を通じて、「捨てるべきものの」を決め、捨てようと決めた。
 このことは、今即、捨てる勇気のない言い訳かもしれない。大事なもの、欲しいもの、かけがえのないもの、支えてくれたものといった視点で、次々手にし、抱え込んでいるいるもので、私の二本しかない、大切な手は、もう支えきれないくらいいっぱいだ。そうしたもので手一杯になって疲弊している状態である。
 にもかかわらず私は、もっといいものはないか、もっと財はないか、もっと役立つものはないかと次々欲しいものを追っているのである。だからほんとうに真剣に捨てようと思ったてやってみた。だがやっているうち、気が付いた。手にするときは、より重要ななもを手にしたのに、手放すときは、より重要でないものから捨てている。このことに。
 これは実は、自分の価値観という物差しが、なんら変わっていないこと示していることになる。そのことに気が付いて愕然とした。だから冒頭に記したように、価値観をもう一度別の世界から見直してからの方がいいと思ったのである。
 肝心なのは、価値観という物差しなのだ。これを変えない限り、手いっぱいなものを捨てて、手空きになる。その空いた手が次に掴むものは、間違いなく捨てたものと同じものになるに違いないのだ。ここまで考えて私はまたもしばらく放心状態に陥った。
 自分が釈然とするまで時間を掛けてみたい、と思っている。