経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

公平

2004年05月23日 | Weblog
 大きな事故の連絡を受けてもゴルフを続けた首相もいた。金の延べ棒をもらって隠していたフィクサーもいた。友好国として賛美していた政党もあった。日本の国民が、多数外国に拉致されていても、つい最近、この人が出るまで政治家、誰一人、この悲劇の解決に取り組むことはなかった。今ほどの関心を示さなかったということではジャーナリズムも,私を含めた国民も、大同小異であろう。
 
 彼、小泉さんが2度も訪朝して、ここまで来た。62歳。けっして若くはない首相が朝7時に官邸を出て、14時間、その前後の打合せなど入れるとほとんど休む間もなかったろう。それに政治は、このことだけではないのだから。23時のTVの記者会見で、つっこむ記者に、人間らしいいたわりの一つもないのに、私は不気味なものを感じた。仕事人であるまえに、私たちは人間であることを忘れてはなるまい。
 
 当事関係者はやむを得ないとしても、国民やジャーナリストは、彼の功績を公平に見る冷静さを失ってはならない。非難や誹謗だけが、ジャーナリズムではあるまい。人として労をねぎらう、成果は率直に評価するといったことは、儀礼以前の重要なことだと思う。
 一国の、少なくとも小さい国ではない日本の首相が、これだけのことを為したのである。それを当然のこととして見過ごすのであれば、今、誹謗している人たちは、冒頭に上げた国賊にも劣る政治家に対して、どれだけの発言をしたのか、なにを為したのか。こうしたことですら政治の具に使おうとしている輩に対してはどうなのか。拉致事件後、放置していた元首相たちにはどうなのか。

 何も為さずに見過ごしてきた者には、きわめて甘いことに、ジャナリストとして恥じることはないのか。そうしたことに不明の自らを省みる謙虚さも、ジャナーナリストに求められる一つの資質ではないか。

 どちらかに肩を持つことは、やむを得ないとしても、それは双肩あれば双方の肩を公平に見てこそ、の片肩でなければなるまい。そうしたバランス感覚が保てこその、自らのいう常套文句「国民の視線にたって」の報道というものであろう。
 そもそも何も為さなかったことに対して見過ごしてきた者に、やって百点満点でないことを誹謗・非難する資格があろうか。

 物品一つ受け取らない、囂々たる非難の中で経済構造の立て直しを行った、この2つだけでも、これまでの政治家を上回るこの今の首相を潰して、次のさらに彼を上回る政治家の台頭の芽を潰してはなるまい。それは国民の責務である。

 これまでの歴代の首相にヘキヘキしていた私は、今の首相と時代を共有できたことを、国民の一人として誇りに思っている。