経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

日常の中の断片

2004年05月13日 | Weblog
 「専門バカと専門外」についてのちょっとしたエピソードがあったので、実は早起きして、ここで書き始めた。だんだんその題材に引き込まれ、おもしろくなりつい、ふくらんできて、長文になった。
 そこで、これを明日発行するメルマガ「白圭、風のたより」へ回すことにした。
 メルマガを2つ発行している。HPが2つ。掲示板が6つ。ブログが3つ。ほぼ毎日これらにカキコミをしている。「そんな暇あったら、ちゃんとした書き物できるでしょうが」、と親しい友人から言われたことがある。それは違う。私は、これらに書き込むことで、それが膨らんで、また自分が魅せられて、ここからほとんどの執筆が生まれているのである。これまで原稿用紙やワープロ時代まで含めても、まとまった固まりとしての原稿書きしたことはない。
 日々気づいたことをメモやテープに断片とし記録しておく。それがふくらみ、コラムになり、それがまとまったら本の執筆となる。 こうしたやり方で、分筆・共著を含めて20冊の本を出した。自費出版が別に3冊。はそれでもこれから残された一生、半年に1冊は出せるだけの断片稿は、このパソコンに十分ある。これからも加わるだろう。この文章だってその断片だ。
 どう生きようと死ぬまで生きているのだから、その生き様のスケッチが、私の場合は、分厚い書物に別枠に時間を確保して書き上げるといったやりかたでなく、日々生活の中で、数行程度、パソコンのアッチコッチに、メモや日記風に記録する、ということだ。
 なにも誇るつもりで書いたのではない。仕事を仕事として別枠で生きるとしたら、時間いくらあっても足りないが、日常の生活として仕事も含めてしまえば、どうだろう、と言いたかったのである
 慎太郎の若いときの作品に「キリマンジェロの狼」という小説がある。その中で、「幸福は固まりではない。ガラスの破片みたいな小さな喜びを日々拾い集めることだ」といった意味の文章があって、飛び上がるほど興奮した。「ほんとうにその通りだ」と、それから40年以上、そうした生き方を通して実感している。大きなものを掴まなかった一抹の寂しさがないことはないが。